七ヶ月と一週間と一日ぶりに その37 | Mona Khalifaのブログ

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時刻は午後4時を過ぎましたが、まだまだ土佐おもてなし勤王党と神戸・清盛隊の皆様はこうち旅広場にいらっしゃいます。
で、私は重盛兄さんと話し終え、挨拶をして重盛兄さんの所を辞して、次の面子を探しました。暫く探すと、舞台に宗盛兄さんが腰掛けておられる。
私は宗盛兄さんに挨拶し、またもや三周年記念公演のパンフレットの事で宗盛兄さんにこう言いました。
「宗盛兄さん、月1で女装がしたい(実際、月1で女装、とあります。)との事ですが、宗盛兄さんの場合、若いおねぇさんは無理ですね。女装するなら、断然婆さんがお勧めです。『101』のクルエラや『ラマになった王様』のイズマがベストですねぇ。」と。あのお方は体脂肪率がどう見ても10%を切っていますから、そこが女装には不利になっています。宗盛兄さんは苦笑いでした。
宗盛兄さんの次にお会いしたのは、重衡兄やんです。このお方にはこの日まるっきり会えていませんでしたが、清盛隊の物販ブースでやっとこさ確保出来ました。挨拶して写真をお願いしましたが、この時の写真が































NEC_2076.jpgこれです。
いつの間にか時刻は午後5時になっていたためか、一層話す時間が限られました。それでも重衡兄やんに、「重衡兄やんを撮る時は、高畠華宵の絵を意識して撮るようにしているんですけど、これがなかなか難しいんですね。」と言うと、重衡兄やん、まんざらでもない表情を浮かべながら、「そうか、それは大変じゃな。これからも頑張れよ。」とね。
重衡兄やんの次は敦盛さんでしたが、この時になると写真を撮るだけで精一杯で話す事は出来ませんでした。撮った写真は、
























NEC_2077.jpgこれです。
敦盛さんの写真を撮ると、土佐おもてなし勤王党と神戸・清盛隊の皆様は「龍馬伝」志士社中の建物の中に入りました。中でYouTubeの映像を撮影するためです。それからは神戸・清盛隊の皆様の姿を見掛けなくなってしまいました。しかし、土佐おもてなし勤王党の皆様の姿はもて勤ファンの方々と一緒に退出の時の見送りの際に再び確認する事が出来ました。もて勤ファンの皆様とはいろいろ話しましたが、ファンの内部事情も知る事が出来て実に楽しかったです。
見送りが済むと、時刻は午後6時を回っていました。ファンの皆様ともここでお別れです。そして私は暫くして高速バスに乗って帰宅したのでした。
これで昨年10月26日のお話はおしまいです。次はまた別の場所に皆様を御案内します。それでは朝になりましたので、今日はこの辺りで。