さあ、昨年12月1日の広島に戻って参りました。
ここで、広島城の簡単な説明を致しましょう。
広島城は、1589(天正十七)年から1599(慶長四)年にかけて毛利輝元が築城し、翌1600年の関ヶ原の戦いで輝元は広島城を没収されました。
更に、その翌1601年に福島正則が入城して拡張工事を行ったのはいいものの、その後、武家諸法度に反して石垣の無断修復をした事で1619(元和五)年に福島正則は改易されました。
それ以後は浅野氏が城主です。ちなみに、赤穂の浅野氏は広島の分家です。
この広島城は、広い水堀に囲まれた平城です。で、輝元が建てた天守は五重五階で、三重三階の小天守を二基携えた連結式だったそうですが、原爆で倒壊しました。本丸中御門や二の丸は消失したそうです。
但し、本丸と二の丸の石垣は現存します。
戦後、天守を復興し、平成になって二の丸表門や太鼓櫓・多門櫓・平櫓が木造で復元されました。
この広島城、私は昨年12月1日が初めてでした。今まで広島城は外から見るだけだったのです。
いざ広島城内へ入ろうとしたら、橋の上に広島のゆるキャラが。
この日、広島の観光キャンペーンで来ていたらしいのですが、これも私には初めてでした。このゆるキャラは、後で登場しますので、どうぞお楽しみに。
橋を渡り、門をくぐると、そこは二の丸でした。
しかし、安芸ひろしま武将隊のお出まし迄まだまだ時間があり、それ迄どうやって時間を持たせようかと考えていたら…
丁度上手い具合に答えがそこにありました。
では、その答えとは?
この続きはまた明日。そろそろ夜も更けて参りましたので、今日はこの辺りで。