映画「ロスェンジェルス決戦」は実話だった?
昨年末に発表されたこの映画。
実は、ある出来事をベースにした映画だという事を知ってましたか?
その経緯はこうだ!
1941年12月8日、日本陸海軍による真珠湾攻撃及び、マレー方面の攻撃が開始され、太平洋戦争が開戦する。
1942年初頭、日本はアメリカ西海岸地域において通商破壊戦を展開し、タンカーや貨物船等に対する攻撃をしていて、中には西海岸の住宅街からでも見える沖数キロで撃沈したり、わざわざ浮上して砲撃撃沈する等、アメリカ政府は開戦以来、「日本軍の大規模な上陸は避けられない」と動揺していた。もし、この様な事態になればロッキー山脈で食い止め、それがダメならシカゴで食い止めるという作戦まで立てられた。アメリカ西海岸の沿岸部には防潜網や機雷を敷設し、街では防空壕を作り、市民には防毒マスクを配る等して来たるべき時に備えた。
1942年、2月24日未明、そんな厳戒態勢の下にも関わらず、日本軍の伊号第17潜水艦によるキャリフォルニア州サンタバーバラの石油製油所を砲撃作戦を成功させるが、この攻撃以降日本軍の目立った動きは無く、日本海軍艦艇が西海岸沿岸より接近する気配も無かった為、午後22:22に警戒態勢を解除する事となった。
がしかし、警戒態勢解除からわずか約3時間後の2月25日午前01:44、ロスェンジェルス陸軍の防空レーダーに西方120マイル地点に日本軍の飛行物体らしきモノが観測された。直ちに陸軍の砲兵旅団は対空砲火の体制を整え、陸軍航空隊はスクランブル態勢に入った。
さらに、午前3時過ぎにはサンタモニカ上空で、時速320キロで飛ぶ赤く光る飛行物体が、陸軍兵士のみならず一般市民にも目視された為、対空砲による射撃を開始した。ロスェンジェルス沿岸部ではサーチライトに照らされながら、午前4時過ぎまでに約1440発の射撃が行われたが、何の打撃も与えられず、約20分間飛行したあと姿を消した。
この攻撃で3人の民間人が砲弾の破片に当たり死亡。さらに、3人が攻撃開始時に心臓麻痺で死亡し、家屋も何軒か倒壊した。この模様は、即座にCBS等の全国ネットのレディオ局で放送された。
その25日の午後、アメリカ海軍が報告書を出し、「一連の騒動は誤報だった。」と会見したが、26日には陸軍が実際に一般市民と目視していた事もあり反論した。「3、40機が飛来して来て、ジグザグに飛んでた。」「赤い飛行物体が交差したり、追っ掛けっこしたりしていた。」という詳細な報告も寄せられている。
戦後、資料を元に再度調査されたが、日本軍の作戦報告書にはこの事件は記載されていなかった。日本軍の風船爆弾という見方もあったが、当時はまだ実用化さえもされていなかったという。
また戦後のアメリカでは、「UFO(未確認飛行物体)だったのでは?」と言う人が多く現れた。アメリカのウィキペディアでは、このUFO説の事柄が多く記載されている。
故に、この事件は現在も未だに闇のままになっている。
これは今年、宇宙人来ますな!!!戦争中にこんな事件があったなんてビックリしました!
俺は、太平洋戦争や第二次世界大戦の歴史は凄く好きで、資料や映画もよく観るんですが、この映画を観るまでこの事件は知りませんでした。
<UFO>という言葉自体は戦後になってから広まったもので、当時の軍、マスコミ、一般人に認知されて無い為、「UFOだ!」と言う人はいなくて当然だと言う。この映画がエイリアンとの戦いになったは、アメリカ人のUFO説が強いからなんでしょうねぇ。結構史実に作ってますよ、この映画は!
しかし、日本側に資料が無かったと言っても、日本軍の存在しない極秘中の極秘任務だったのかもしれないしねぇ。あと、外国人は虚言癖を持った人もいるから、当時の市民らの発言もどこまでが本当なのか分かんないし。正に、闇だ!!!!!
画像は、その時の本物の写真!
E.T. go home
LYRICS SERIES
久々の歌詞を見ようのコーナー!
今回は、シンディー・ローパー!!!!!本名は、シンスィア・アン・ステファニー・ローパー。
俺が初めて聴いた女性アーティストなんだけど、当時はマドンナかシンディーかって言われるほど、話題性のある人物でした。
自分の親が好きだったアーティストであり、まだ女性アーティストのCDを持っていなかったので「これは!」と思い早速買いに行くと、ハイ出ました~!田舎名物「品薄!!!!!」、何にも無ぇわ!!!!!
しかーし、捨てる神あれば、拾う神あり!近くのスーパーに来てた行商市で発見しました!
1番初期のグレイテスト・ヒッツを買いました。
このアルバムは、彼女の宝石箱みたいなアルバムで、聴いてると知らない内に元気になります!ポップスからバラード、ロックやレゲェイまで、あらゆるジャンルを取り込んだ歌唱センスには脱帽の一言です!!!
さて今回の曲は、TRUE COLORSです!
哀しそうな目をしたあなた
がっくり落ち込んでしまわないでね
私だってよく判るわ
いろんな人たちがひしめき合うこの世の中で
勇気を出すことがどれほど大変なことで
うかうかしていると
すぐに取り残されてしまうことぐらい
そして心の中の闇が広がり
あなたはたまらなくみじめな気分に
なってしまうのよ
だけど私には見える
あなたの本当の素晴らしさが
滲み出している
私にはあなたの良さがよく判る
だからこそあなたを愛しているのよ
自分本来の姿を表に出すことを
恐がっていちゃだめ
本物の輝きってとてもきれいなのよ
まるで虹のように
だから笑顔を見せて
ふしあわせのままでいることなんかないわ
あなたの笑顔を最後に見たのは
いったいいつの日のことかしら
この世の中があなたをおかしくさせ
何もかもすべて
抱え込んでしまっているというのなら
私に電話してちょうだい
すぐにも駆けつけてあげるから
私には判る
あなたの本当の素晴らしさが
滲み出しているわ
私にはあなたの持ち味がよく判る
だからこそあなたを愛しているのよ
自分本来の姿を表に出すことを
恐がっていちゃだめ
本物の輝きってとてもきれいなのよ
まるで虹のように
by Tom Kelly,Billy Steinberg
彼女の歌詞は、自身の実体験や社会的メッセージが多く反映しています。
彼女は、ニューヨークはブルックリンのクイーンズの生まれで、病院に行く途中のタクシーの中で産まれる。5才の時に両親は離婚、母と姉、弟と一緒に暮らす。17歳の時に、現状に嫌気がさし、高校を退学して家を出て行った。職を転々とし、森の中にテントを張ってスケッチをしながら過ごした。その後、カナダを旅行してニューヨークに戻った。
ソロになるまでは、ブルーエンジェルというバンドにいて、評論家から絶賛されたが、それに反して人気はそれほどでもなく、すぐ解散してしまった。<I'm Gonna Be Strong>は、このバンドにいた時の歌である。そして、ソロとしてデビューし、現在も昔と変わらずパワフルなパフォーマンスで人々を魅了している。
日本にも頻繁に来日しており、1995年、「ニュースステーション」に出演した際に、当時社会現象となっていた女子高生の「ルーズソックス」のニュースにコメントを求められ、「あのソックスは格好いいし、いいじゃない?!」とスタッフの思惑と正反対のことを言い出し、「あの年頃の少女たちは、自分たちが何か特別な存在でありたいと願い、同時に1人で突出する勇気はまだない。そんな少女たちが社会においては特別な自分たちであるという主張としてのルーズソックスなのではないだろうか。」と続け、コメントの最後に「でも誰が何と言おうとあのソックスは格好いい!」と結んだ。
阪神大震災の時には、神戸の神社のチャリティーイベントで来日したが観客が殺到した為、2分で中止になってしまった。そして東北の震災の2日後には、他のアーティストが公演を中止する中、予定通り公演を行い、観覧しに来ていた芸能人と一緒にステージで、いち早く募金活動を行っていた。帰国後もアメリカの取材に対して、見聞きした範囲で日本の正確な状況を伝えていた。
今は、ホームレスの支援団体、ゲイやレズビアンの同性愛者の人権擁護支援団体等のイベントにも参加している。
彼女は、真のニューヨーカーであり、老若男女からストリートまで絶大な支持を受けている女性アーティストである!
幼少からの苦労が分かる人間だからこそ、その人気は衰えないのであろう。
画像は、あの<Girls Just Want To Have Fun>のクリップのオフショット!超レアものです!!!しかも、この曲ってカヴァー曲なんですよ!知ってました?
このクリップに出て来る母親役は、シンディーの実の母親だそうです!あんま似てないね。
we love cyndi
GABRIELLE BONHEUR CHANEL
ガブリエル・ボヌール・シャネル。
言わずと知れた、女性ファッションブランドの頂点に立つ、 偉大なファッションデザイナー。
ココ・シャネルの「ココ」は愛称で、子供の頃にko ko ri ko(コケコッコウ)と鳴くニワトリをよく真似していた事や、酒場で歌っていた歌から付けた等、諸説あるらしい。
彼女が、後の(現代の)女性に対して与えた影響力は絶大で、ファッションのみならず、男社会での女性の社会進出にも多大な影響を与えている!
当時は女性の社会進出は珍しく、ココ程成功した女性はいないくらいだった。
男並の野心の持ち主で、自分の考え方には常にストイックであった。映画でも「働くの!?」と、知り合い達から苦笑される場面が多く見られる。この時点で、もはや周りの女性とは一線を画す人物だったようだ。
彼女は、退屈しのぎで帽子のデザインから始めて、エミリエンヌという舞台女優に見初められる。デザインは、どれもシンプルで機能性に優れたモノが多かった。
彼女がスタイルとして提案したものは、「盛り飾ったハットからシンプルなハットへの移行」「見えるエロスから見えないエロスの着こなし」「スカートからパンツへの移行」「ロングヘアからショートヘアへの移行」「黒色の服の常用化」「ボーダーデザインの取り込み」「コルセットからシャネルスーツへの移行」等、現代女性のスタイルの基礎を築いた!!!!!
宝石についても模造宝石を発表後、すぐにダイヤモンドジュエリーを発表、「ダイヤモンドは、カラットが重要では無く、着ている服に合わせるのが重要なの。」と提案。
黒色の服とは喪服を指しており、当時は葬式以外では着なかった。これを普段着にアレンジしたり、社交場で真っ黒のドレスで出たりしていた。黒色は、もはやシックにキメる定番色ですよね。
ハットは、エミリエンヌにシンプルさを提案したところ、気に入って貰った事からシンプルなハットが定番と成り始める。
パンツ、ヘア、スーツ等の移行は、シャネルが当時のファッションや機能性が、好きになれなかった事が影響している。
エロスに関しては映画の中で、「見えない方が男共は想像する。」と言う、ココの男的な考え方も描かれている。(と言うより、もう考え方が男だよね。)
古いスタイルをあっさりと切り捨て、新しい流行を生み出す為、業界では「暗黒の天使」という異名まで付いた。
あと、ファッションモデルは何故、痩せている人ばかりなのかと言うと、ココが元々痩せた体型だった為で、ココ自身がモデルとして着ていたら、周囲から「モデルは痩せている方が美しい。」という固定概念が、そのまま今日まで到ったという。
戦前、コレクション発表会前の苛烈な作業から、従業員がストを敢行し、一部の店舗以外は全て閉鎖してしまう。その間、第二次世界大戦が勃発。当時、シャネルはナチス親衛隊の少将と愛人関係となり、戦後「売国奴」として猛烈なバッシングを受け、スイスに亡命して約15年もの間、身を潜めていた。(2010年に発表された著作には、ナチスと積極的に行動したり、反ユダヤ主義者だったとも書かれている。)そのような噂が、薄まるのを見計らって営業を再開。当時、シャネルはウーマンリブによって、女性の社会進出が目覚ましかったアメリカで熱狂的に支持された!1971年、パリのコレクション発表会の準備中に亡くなる。フランスの高級墓地に埋葬しようとしたが、過去の行いが祟り拒否され、お墓はパリではなくスイスに埋葬されている。恋多き人物だったが、恋人の交通事故死や急死等に見舞われ、生涯孤独で死ぬ間際まで働き続けた。後任は、彼女の意思を受け継ぎ、現代の空気を取り入れながら、現在もヘッドデザイナーとして、カール・ラガーフェルドが担っている。
正に、現代社会で働く女性のお手本といった方ですよね!男社会の中に女性の居場所を作った偉人!男でもなかなか出来るものじゃ無いですよ、これは!彼女の存在自体が女性スタイルの最先端ですよ!
ブランドを買いあさる馬鹿共は、ちゃんと分かって買ってるのか?
そのブランドが提案するスタイルを取り込まなければ、買う意味は無いよ。大して使わないブランドのバッグを死ぬほど持っているヤツとか、ただの馬鹿としか思わねぇしな!金持ちのステータスとか言ってるヤツも下品だ!
兎に角、現代女性はココに感謝して生きなさいよ!そして、女性の権利を更に増やす為にも、各方面で奮闘して欲しいものです!
tiens bon


