心と身体は決して別々じゃなく
ひとつの大きな循環の中にあります。
どちらかが揺らぐと、もう一方も必ず響き合う
だからこそ、痛みや不調は
単なる肉体現象ではなく
心や魂からのサインでもあるのです。
たとえば
・身体からの不調でメンタルが落ちる時
長引く肩こりや頭痛、ホルモンバランスの乱れ
そんな時、体は重くて動かなくなり
「なんで私だけこんなにしんどいんだろう」
と心が弱り、やる気や自信まで削がれていく
・メンタルからの不調で身体が落ちる時
人間関係のストレスや
孤独感が心を疲弊させると、夜は眠れず
胸は苦しく、胃に痛みが走る
やがて免疫が落ちて風邪をひきやすくなり
体にまでSOSが出てしまう
こうして心と身体は
互いに映し鏡のように影響し合い
気づけば“負の連鎖”に巻き込まれていく。
今回こんな話を書いたのは
イベントでもご一緒した
ゆみちゃんのブログへのアンサーです。
*文中に出てくるNEOとは
私の旧セラピスト名です
先ほどの喩えを見れば
ほら、やっぱりわたし体調からじゃないの?
って彼女は思うかもしれません。
ただ実際、彼女を見ていると——
痛みの箇所そのものよりも先に
心の乱れが色や
エネルギーに鮮やかに現れていました。
だから私は伝えたのです。
「身体の不調が原因ではなく
心の落ち込みが身体に影響しているんだよ」
「今は自己肯定感が下がっているんだよ」と。
実は五十肩や体の不調を聞いて
すぐさま整体だのアドバイスしていたんです。
が、実際に会った彼女を見て
『あぁ。これはメンタルからだ』
と気づきました。
口には出さないけれども、不平や不満、焦り…
いろいろな感情が
彼女の内側で絡み合っていました。
それはやはり
痛みが重なったその時から続いていた、
大きなプレッシャーだったことを
私も知っていました。
人は「やりたいこと」だけでなく
「夢や目標を叶えようとする時」にこそ
大きな負荷を背負うものです。
そして彼女の場合、
その負荷がいっぺんにのしかかってきた。
あらかたフォローして
できる限り伴走していたつもりでしたが
それでも彼女の心にかかる重さは大きく
私もただ
“見守る”ことしかできない時間が続きました。
それでも時には、叱咤激励しながら。
時には、静かに寄り添いながら。
「どんな状態の彼女も、ちゃんと光へと還る」
ことを信じて
私自身も付き添っていたのです。
けれども、それを体験したからこそ
あなたは知ったのです。
「人は誰もが揺らぐ存在である」
という真実を。
そして、その揺らぎを知ったからこそ
あなたは誰よりも深く、優しく、
他の人の痛みにも寄り添える存在になった。
魂は、ただ強さだけで輝くのではありません。
揺れた分だけ、愛の器が広がるのです。
本人は
「身体がしんどいから
メンタルが落ちているだけ」
と思い込んでいました。
でも真実は
どちらも循環し合い、重なり合い、
拡大し合っていたのです。
気づかぬうちにヤサグレは強くなり
甘えに変わり
やがて態度や言動に雑さが出て
周囲へも影響していきました。
でもね。
これさえも宇宙のギフト。
あなたが書いてくれた通り
宇宙はいつも「最適」しか与えないのです。
時に苦しく見える出来事でさえ
未来の光へつながる大切な学び。
底にいたからこそ見えた風景は
あなたをより大きな愛へと導くための宝物。
だからどうか安心して。
あなたはすでに
愛の循環の真ん中にいるのだから。
最後に爆弾を投下して終わろう。
実は、あのイベントの日の朝
私はひとつの大きな決断を下していました。
助手席に座っていたみゆきちゃんは
私の話を動揺することなく
ただ静かに受け止めてくれていました。
——もしもあの日。
ゆみちゃんの中にまだ
立ち直りきれていない部分があり
雑さや未消化のエネルギーが
そのまま表れてしまったなら。
その時は速やかに関係を終わらせる、と
心の中で決めていました。
それは「嫌いになったから」とか
「めんどうだから」といった
単純な理由ではありません。
ただただ、彼女の未来にとって
もし自分の存在が足かせになるのなら
潔く去るのが私の役割だと思ったからです。
私は見届けたい気持ちがあった。
その成長を信じて、ここまで共に歩んできた。
けれども本当に彼女が光に向かうためには
時に“離れる勇気”が必要になることもある。
見守ってきたからこそ
必要なら自ら去る選択をする、
その覚悟を持たなければならない。
そう思って、私はあの日を迎えていたのです。
これだけを切り取って読むと
どうしても
「講師と受講生」という立場の違いから
私が上から物を言っているように
聞こえるかもしれません。
でも実際はそうではないんです。
どれだけ私が彼女を信頼していたか。
どれだけ彼女の存在を大切に思っていたか。
その深さは、近しい人にしか
わからないかもしれない。
でも、わかる人にだけ伝われば
それでいいとも思っています。
むしろ、私にとってもその決断は本当に苦渋で
胸を引き裂かれるような覚悟を伴うものでした。
だからこそ、安易に甘やかすのではなく
必要ならば離れる覚悟を持ち
同時に信じ続ける強さも持つ。
それが、彼女と本気で向き合おうとした
私なりの姿勢だったのです。
あの日の彼女は、きっと痛みもあったし
不安も抱えていたと思います。
それでもイベントが終わる頃には
ブログに書いてくれたように
「楽しかった」と笑顔を見せてくれました。
エネルギーはキラキラと輝きを取り戻し
まるで魂の光が再び点ったように
お客様たちと触れ合いながら
満足そうに帰っていった。
だからこそ、だからこそ。
私もようやく安心して、お休みをいただけます
「見届ける」という役目を一旦置いて
静かに深呼吸をするように
自分の時間を取り戻すことができるのです。
それは「もう終わり」という切り離しではなく
「信じて任せる」という次のステージへの移行。
ありがとう。
安心して休めるのは
彼女があの日、あの笑顔を見せてくれたから。
だから今日も私は
心から「最適」を受け取っています。
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当分ブログ休むって言ったけど
結局こうして書いちゃうんだよな。笑
「甘やかしてはいかん」と思うのに
どうしても溢れてくる。
これがもう、私の仕様なんだろうね。
はい、宇宙さん。
今日もまた最適を、ありがとう。