わたしは話好きのように見えて
実は多動でマシンガントークになる。
気づけば止まらない。
周りが見えず、話題が何階建てにもなる。



気づけば高層ビル。いや、時に違法建築並み。



基礎工事をすっ飛ばして
いきなり天守閣を建てはじめる。
→前後の脈略がないまま
「ほら、立派な城できたでしょ!」
ってドヤ顔。



人様の敷地にも平気で侵入する。
「ちょっとだけならええやろ〜」
と他人の話を奪い去り
気づけば私の城の一部に組み込まれている。
→人の話の最後までを聞けない



期日? タイムキーパー?
そんなものは景観条例くらいの扱いで
あってもなくても工事は止まらない。
「予定時間30分オーバーからが本番」
みたいな顔で
まだまだ話を積み上げていく。
→人の疲弊や空気も読めない



それでもみゆきちゃんは
「違法建築も芸術に変える建築士」
のように
私の暴走トークを最後まで受け止めてくれる。



私が時を忘れて
喋り倒すほど話をさせてくれる。
そんな人は単なる聞き上手ではなく
「相手の心を安心させる天才」だと思う。



どんな言葉も途中でさえぎらず
「うんうん」とうなずいてくれるあの姿に
心の中のノイズが静まっていく。



自分が何を言っても受け止めてもらえるって
あんなに自由で
あんなに解放される時間はない。



けいちゃんは
「現場実況のリポーター」
として
驚き・悲しみ・喜びを
ぜんぶ表情でナビゲートしてくれる。



「そうなの?」と眉を上げて驚き、
「そうなの…」と切なげに悲しみ、
「そうなんやね♡」と笑顔で喜ぶ。



彼女の表情は、まるで生きた絵文字。
同じ話をしても
けいちゃんのリアクションがあるだけで
世界がカラフルになる。



ゆみちゃんは
「検査甘すぎる審査員」
で、どんな未完成の建物も
「ええんよ、大丈夫よ」で合格にしてくれる。



ゆみちゃんはめちゃくちゃ自分に甘い。

が、私にはもっともっと甘い。笑

「ええんよ、いいんよ、大丈夫よ」
が口癖で、私を責めることなんてない。



落ち込んでも焦っても、
ゆみちゃんの“いいんよ”の一言で
力が抜けて、世界がゆるむ。



――気づけば、無許可で建てたお城の中で
3人と一緒に笑っている私がいた。



みゆきちゃんの安心、
けいちゃんの共感、
ゆみちゃんの甘やかし。



この三人の前では
私の中の鎧がぜんぶ脱げてしまう。
気づけば笑って、また喋ってる。



そして思う。
人って、安心できる人がいるだけで
ちゃんと“人間”に戻れるんだなって。



…そんな風に思えたからこそ
今ここで素直に言えることがある。



私はずっと、脳みそをフル回転させてきた。
心理やセッションのこと、文章のこと、
次の企画のこと、未来のこと。
考えて、書いて、届けて…



気づけば頭の中は
休む間もなく動き続けていた。



だからこそ
ここで一度止まってみようと思う。



ブログも、インスタも、破壊はしない。
ただ一旦ストップして
私自身に集中する時間を持ちたい。



「届ける」ことから少し離れて
「感じる」ことや「遊ぶ」ことに
エネルギーを戻したい。
その方がまたいつか
もっといい形で言葉を届けられる気がするから。



安心できる人がいるからこそ
安心して止まることもできる。



これは後退じゃなくて、充電。
次に書きたくなるその時まで
私は私に集中してみようと思う。



そしてなにより――
今回のイベントのメンバーが
あの3人でよかった。



しんみりと心が安らいで
安心できて、ただただ嬉しかった。
あの時間があったから、私はまた前を向ける。



たぶんこの気持ち、3人とも初耳やと思う。笑
(いや、間違いない)
でもね、あなたたちがいたから
私はちゃんと“人間”に戻れた。
ありがとう。







私のこの“多動でマシンガントーク”は
いわゆる発達特性のひとつです。
話題が飛ぶ、時間を守れない、
人の会話に割り込んでしまう。
場面によっては
「困った人」って思われることもあったし
私自身もしんどかった。



そして最近、私は急に
イライラしてしまうことがある。
それが前よりも
強くなってきたようにも感じている。



頭の中で
自分の“多動”と折り合いをつけながら
一生懸命に行動を構築していく。
でもどうしてもキャパオーバーになると
ふとした誰かの言葉に反応しすぎてしまうのだ。



「もう今からじゃ間に合わない」
「あれもできない」



全然そんなことはないのに
まるで本当のように思い込んでしまう。



それを自分が一番苦しくて
日常的にきつい瞬間が増えたから
余白を作るためにも
ここで一度立ち止まろうと思う。



でも――


これまでは困ってきた私の特性を
みんなが受け入れてくれた。
だからこそ私は救われて
今はそれをギフトだと思える。