こちらは、
2年前ファンミーティングを開催した時の写真です




さて、
なんぼくるんよ!という私たち夫婦。


子供を授かり、めでたしめでたし!
ともならず、またもや揉めていくのです


不倫騒動もひと段落するも
息子が産まれたことで、私の大切バロメーターが
一気に息子に注がれていきます


不倫騒動で鬱、産後に鬱、そして息子3歳で
またまた訪れた鬱。。。


今思えば、何も言わない、察して女だったんです。
前編にあるように、
負けたくない、馬鹿にされたくないを拗らせ
元来の甘えられない性格が災いし、そして、
愛されるには資格がいると思い込んでいたので
職場では常に、評価と承認のために
フルパワー全開だったし、
誰かのために『無理をして』頑張り続けた結果
皺寄せが来るのは家庭内でした。


察して女のくせに、いや、察して女だからなのか
なんで気づかないんだよ!と、いつも
夫に対して不平不満でいっぱいでした。


子ども、育児についても。
家の中についても。
最悪でしかなかった義実家との関係についても。


    

自分の意見や思いは言わない

だけど、夫が決めたことや判断には
常に腹を立てている


任せておいて、文句ばかり。


自分の気持ちを言わないくせに、
気づかない相手に腹を立て、馬鹿にする。


とにかくわたしは、噴火直前まで伝えなかった
だから、喧嘩になる時には、開始から
噴火🌋MAXで、話し合いになりません。


するとあろうことか、暴力という手段にでます。
わたしが、です。
取っ組み合いも何度もしました。
感情が抑えられなくて、
だけど無視を決め込まれると我慢ならなくて
つかみ合いの喧嘩でした。


子どもが泣いても、止まりませんでした。
その時に初めて、父の暴力を思い出しました。
感情表現ができていないと、
そして愛されている安心感を知らないと、
自分の思いの伝え方がわからなかったのではと。


自分の思いが通らない、聞いてもらえないことに
過剰に反応します。
人間だからね、当たり前にある感情。
相手の感情をコントロールはできない。


だけど、父も私も
共感しない=わたしを愛していない、認めていない
このように短絡的に受け止め、暴走します。


ですから、暴力という手段で
自分の痛み(心)に気づかせようとしたり
相手の動きを止めることで、
自分の話を聞けと訴えます。


常にわからないんです。心、感情が。
それは何も感じないのではなく
感情の整理ができない。
寂しさも、不安も、怒りも父はお酒と暴力で。
わたしは唯一、感情を見せれる夫を
サンドバッグにすることでしか
わたしの気持ちを言葉にできなかったのです。


この頃はありがとう、ごめんねその言葉だけ
夫には言えませんでした。


負けた気がするから。
夫にお礼を言ったり、謝ると
自分が間違っていたことを認めないといけない。


今なら思うんですよ。
そりゃ、間違うことがある!って。


ですが当時は、
自分が正しくないとまずかったのです


間違いを認めることは過去の経験の積み重ねから
ダメなわたし、愛されないわたし
を認めることになる。
それを無意識に恐れていました。


自分のダメなところを認めたら
わたしの存在価値がなくなると思っていました。
もう、世の中に必要とされなくなる、くらいに。


そうです。
とにかく、わたしの過去がこんなにも
今(当時)に影響していたのです。


無意識に思い出すのは、過去の記憶。
それは、あの時ああだった、こうだったではなく、
あの時の感情を思い出し、
その繰り返しを回避するために
『愛されない、存在価値がない私』から
もがいてもがいて、逃げていました。


ですが、過去の感情には
時が経つほど、
そして『愛されないわたし』を拗らせるほど、
当時ではなく、今の思いが乗ってしまいます。


事実だけではないこと、妄想も付け加えます
よく、話を盛った、と言いますが
『こういうに違いない』
『こんなことを言ったような』
が、事実と思わせ、
感情と、解放できなかった年月が
もっともっとわたしに都合よく可哀想な過去を
作り上げていました。



常にわたしは、今、や、夫、ではなく
過去のわたしに怯え、恐怖し、囚われていました。


もし、今のように
過去を淡々と見つめ
では今なら、繰り返さないためにどうするか?
を考えることができていたら
もしかしたらもっと早くパートナーシップに
変化が起きていたかもしれません。



自己紹介編 パートナーシップ③
再び離婚騒動に続きます