私の暗黒時代。
特にひどかった30代は写真がほとんどありません
見た目、体型、全てが嫌でした。
記録に残したくなく、私は写真が大嫌いだと
思い込んでいました。
私が、撮られることも、目立つことも大好き!
と気付くのは40歳を過ぎてからでした。
体型、なーんにも変わってなくて。
このままの私がいちばん可愛い!
自分で認め受け入れたら、
誰がなんと言おうが、私は今の自分に不満がないし
それを言い訳に、やらない選択をしません。
さて短大に入り、私の【愛されない】を埋めるため
そして【このままの私ではダメ】を満たすため
私は、人との距離感を詰めることに必死でした。
しかし、愛し方を知らない私は
誰にでもいい顔をし出します。
浅く広い交友関係を拡大することが安心でした。
週3回コンパに繰り出し、当たり前に体を重ねる。
なぜ、深く狭い関係を望まないのか?
作れなかったのです。
表面上はこうだけど、本音は違うに決まってる!
その思いから人を信用できなかったのと、、
当たり前に体を重ね、性モラルが崩壊し
誰かの大切な人と悪びれなく身体を重ねたことで
交友関係も破綻していきます。
友達より私を求めてくれる人こそ大事だったのです
愛された記憶がないから、
優しくされるとその愛こそ真実とばかりに
なんでも許してしまいます。
10代、20代の恋愛は決まってフラれる理由が
『本当はあの子が好きだった』
これ、盛ってません。三回連続、コレでした。
そう、2番手でもなく都合のいいオンナ。。。
そして、同性に優しくされると
どうしても受け取れませんでした。
これは40代まで続きます。今も、実は苦手です。
私なんかにいいの?という、不安と疑い。
受け取ったら頑張って返さなければいけないという
負荷や責任が怖いから。
人間関係がわからない私は、
周りを見て、合わせることを輪をかけ良しとします
甘えられない
のです。甘えることは悪だとさえ思っていました。
自分に厳しく制限をかけ、
自分が常に悪いと思って生きてきたので
人を過剰にかまい、世話を焼くことはできても
私がそれを伝えたりはできませんでした。
その後、甘えられないは偏見を生み出します
自分に厳しいので
すぐに甘える人を見下す
世渡り上手な人を敵に見る
頑張ること、評価や承認のために生き続け
頑張らない人をマウントし続けます。
でも根底には自分に自信がないので、
誰かと比べることでしか、自分の価値がわからない
自分にもできる!なんて到底思えないので
頑張れそうなところでだけ人を蹴落とし
上に登ること、周りに可愛がられるポジション死守
に全力だった社会人時代でした。
愛されたい!こんなに頑張っているのに!
やがてその思いは、怒りとして溜まり続けます
被害妄想で全てを捉え、
期待する反応がないと落ち込み、やがて
腹が立ってきて、抑えきれない怒りとして
相手に伝えることもなく、絶望として心の奥底に
溜め続けていきます。。。
だから、私には
やりたいことや、好きなことがわかりませんでした
自分を貫くことは嫌われる。
人に嫌われたら、私には生きる価値がない。
笑われることは恥ずかしい。
出来ないと嫌われる。出来ない自分はダメなんだ。
人が望むことを先に察知しなければいけない。
喜ばれなければ、生きる意味がない。
常に自分より、他人を優先し続けた結果
私が今何をしたいのか?私は何が好きなのか?
魂から喜ぶこと、本当にしたいことが全く
わからなくなりました。
そして、怒りを溜め込んだ結果は
いつも自分の気持ちを押し殺すから、、、
私が今、何を感じているのかわからなくなりました
腹が立てば、似たような環境の人に愚痴ります
しかし、何も変わらないどころか
そこでの自分をまた気にして本音が言えません
誰かと比べて自分はマシかどうか
それが基準となってしまいました。
だから、無意識に社会に怒りを持っていました
お金がある人、家族に恵まれている人、
社会的立場に恵まれている人、
義実家の関係が良好な人、
イキイキと楽しそうに生きている人。。。
全ての人に対して、ズルい!と思っていたのです
だから、妬み僻み、執着、これらを外すのに
本当に苦労しました。
それでも
形のない愛、見えない愛を
ずっとずっと追い求め、傷つき、また渇望する
これを繰り返していたのは、
こんな自分がどこかで嫌で、疲れきっていて
愛を知りたかったし
私を変えたかったからでした。
私の20代30代は、うつ病を3度繰り返し
社会人生活だけでなく、
パートナーシップ、そして我が子にも
ジワジワと事件を引き寄せてしまうのでした。
自己紹介 パートナーシップ編に続く