先日こんな動画を流したら
意外に高評でした
というわけで、
最近私を知ってくださった方のために
これまでの私を自己紹介しますね
これ、、、30代です
体重もそんなに変わっていないのですが
入るもの=服という概念でした。
髪は、いつでも結べるようにロング。
もはや、結ぶではなく、『しばる』が正解。
全てにおいて自信がないし、自己肯定感が低く
周りがどう思うか?それだけを気にし、そして
誰かと比べて自分はマシなラインを探していました
というのも、私の生い立ちにも理由がありました
すでに亡くなった父親は
私から見た祖母に愛着をもらえず、
私と父はどこか似たような部分が根本にありました
小さな頃から、父親は『狂ってる』
そう思っていました。
自分の機嫌次第、お酒が入れば止められない勢いで
暴れ回り、家の中はめちゃくちゃ。
母には沢山の傷や青あざ。
泣いても泣いても、父が気の済むまで続きます
敷地内同居の祖父母に助けを求めても、無視。。
父の怒鳴り声、母の悲鳴、私たちの泣き叫ぶ声。
近所中に、我が家は知れ渡っていました。
隣りのおばちゃんが、涙を流しながら
『可哀想に』と言ってくれた時。
なんにもしてくれないくせに!!
小学一年生ですでに、私は自分の環境だけでなく
周りにも怒りと落胆を覚えていました。
なぜ生まれたのか?
なぜ生きなければいけないのか?
誰にも相談できず、
そして見て見ぬ振りをする大人や
誰にも守ってもらえない悲しみに包まれ
どうして未来に夢や希望がもてるのか。
私はすでに7歳で、この世に諦めていました。
父は、借金や浮気も繰り返します。
そんな夫婦生活がうまくいくわけでもなく
私は常に、母に離婚を求めていました。
『あなたたちのために』それは呪いの言葉。
もし、私たちを思うならば、
貧乏でも安心が欲しかったその思いは
意外な形で訪れます。
母の不倫が、父に見つかってしまいました。
母も、私から見たらとても幼く見えていました。
なぜ決められないのか?
なぜ考えないのか?
今から逃げる事ばかりで、今に向き合うことを
とことん嫌がりました。
そんな母が、不倫を始めた時。
相手は、そう私と変わらない年齢の相手でした。
今から逃げる、目を背けるためだけの相手。
本気の恋愛ではないと、誰が見てもわかります。
なぜ、私が知っているか?
母が少女のように、私に報告するからです。
母が相手に会う週末の夜。
父もいない。妹は友達の家に入り浸り。
大きな家(田舎)で、犬と2人で過ごす夜の長さは
いまだに忘れる事ができません。
ひどい胃腸炎になって、嘔吐と下痢と高熱で
朦朧としていた時。
さすがに泣けてきました。
初めて、『このまま眠って死ねたらいいのに。』
そんな風に思っていました。
また、父の、母への性暴力もひどく。
それを私たち姉妹を呼びつけ、喚く父を見続け
私の恋愛感、特に性の捉え方は拗れていきます。
その後、母は逃げるように離婚しました。
妹を溺愛していた祖母には
『妹だけは渡さない。妹だけはダメだ』
目の前で言われ、全てを失ったと感じました。
誰も私を必要としていない。
最後の砦は見事に崩れ落ちました。
母に連絡を取ろうにも電話には出てもらえない。
家では、父が毎日酒を飲み荒れ狂います。
『お前のせいで俺はこんな生活する羽目になった』
呪いの言葉は、日に日に語彙量を増やしました。
妹は、誰かに依存する事で愛を求めました。
*やがて、ヤクザに追われる日も近づいてきます。
愛されている実感なんて皆無でした。
お手伝いに始まり、長女だからと押し付けられたり
少しでも反抗すれば両親から集中砲火で叱られます
それでも我慢してきたのは
愛されたかったから。
私を見て欲しかったから。
そしてどんどん頑張り続けた私はやがて
強迫性障害になります。
これをしなければ、という思いがどんどん強まり
日々のルーティンが崩せなくなり
そのこだわりは、体や心を蝕み
学校にも行けなくなりました。
それでも誰一人、私を気にかけ
声をかけてくれた人はいませんでした。
常に、私は孤独でした。
居場所がありませんでした。
そしてずっと愛されていないと思っていた私は
私がこのままで愛されるわけがない。
私がこのままで人に受け入れてもらえるはずがない
無意識に刷り込み完了していました。
生い立ち編 続く