令和6年5月17日に成立した「離婚後共同親権」改正民法について,自分自身で条文を読み,さらにはいろいろな会にお招きいただいてお話を伺ったことなどを踏まえて,今私が思っている「改正民法についての解釈論」を数回に分けて書きたいと思います。
私が,今回の改正民法で最も印象的に感じている条文は,以下の[第824条の2]です。
[第824条の2]
親権は、父母が共同して行う。ただし、次に掲げるときは、その一方が行う。
一 その一方のみが親権者であるとき。
二 他の一方が親権を行うことができないとき。
三 子の利益のため急迫の事情があるとき。
2 父母は,その双方が親権者であるときであっても,前項本文の規定にかかわらず,監護及び教育に関する日常の行為に係る親権の行使を単独ですることができる。
この条文には,いろいろと指摘すべきポイントがありますが,私にとって印象的だったのは,2項なのです。
2項は,両親が共に親権者である場合,本来であれば両親権者の同意がないと子についての親権行使ができない一方で,例外的に他方親権者の同意なくできる行為について規定しています。
その2項は,他方親権者の同意がなくても,「監護及び教育に関する日常の行為に係る親権の行使を単独ですることができる。」と規定しているのです。
その一方で,改正民法は面会交流の規定も設けています(改正民法817条の13)。改正民法が上でお話しした824条の2と,面会交流についての817条の13を両方制度として設けたことは,「面会交流と,子の監護及び教育に関する日常の行為に関わることは別の制度である」ことを意味していると私は考えています。
それはつまりこのような意味です。面会交流制度は,子が幼く,同居親が子の手を引いて面会交流場所に連れていくことを念頭に置いた制度です。だから面会交流制度では,同居親の義務として合意や審判がされます。
その面会交流制度を通してでないと,別居親は子の監護及び教育に関する日常の行為に関わることができないのではないか,という意識がこれまで強かった(だから,同居親の同意がないと,別居親は子の学校行事に参加できない,という主張がされる場合があった)のですが,その意識は実は面会交流制度を正しく理解していない,ということが,今回の改正民法では明らかになったと私は考えています。
その根拠として,面会交流制度においても,子どもが自分1人で別居親に会いに行ける年齢になると,面会審判でも,「同居親は別居親と子が面会をすることを妨げるな」という表現になります。それも,「面会交流制度は,子が幼い年齢の場合に,同居親に義務を課して別居親と子との面会交流を行う制度である」という理解につながると思います。
そのように考えますと,改正民法の立場である①面会交流制度と,②子の監護及び教育に関する日常の行為に関わることは別なのだ,という点を明確にしたものであり,とても良い改正だと私は考えています。
実はこれは,予定されている2026年の改正民法施行前においても,特に離婚前の共同親権状態において,主張の根拠となるものです。といいますと,改正民法は,これまで民法の規定では不明確であった親権の規定を明確化して,その内容を離婚後共同親権の場合に拡張したものだからです。現在の離婚前共同親権の状態においても,「面会交流」と「子の監護及び教育に関する日常の行為に関わること」は別の法律制度であり,「子の監護及び教育に関する日常の行為に関わること」には他方親権者の同意や許可は不必要であることの根拠を,改正民法は明確に示してくれたと私は考えています。