いろいろ 病と死 【12/25のTwitter】 | LEO幸福人生のすすめ

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幸福の科学一信者のブログです。
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職業 を 失っ たり、 仕事 が うまく いか なく なっ たり と、 いろいろ な こと が ある と 思い ます が、 生かさ れ て いる かぎり は、「 まだ、 この世 に 使命 が ある の だ」 と 思っ て、 自分 が やれる だけの こと を やり 終え て ください。 それ が 大事 です。

 

 

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病気 を し て い ても、「 自分 は、 どの よう な 心境 を 維持 し、 獲得 する こと が できる か」 という 修行 は ある はず なの です。     ある 人 に 病気 が 与え られ た なら ば、 それ には、 それなり の 理由 が あり ます。

 

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避け られる もの は 避ける よう に 努力 し た ほう が よい と 思い ます が、 最後 は、 どうしても 病気 を し ます。 その とき には、 避け られ ない 運命 として 受け入れる しか あり ませ ん。

 

 

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それ も 人生 の 修行 課題 なの です。 あなた の 人生 の 問題 集 の 一章 として、「 肉体的 な 苦しみ」 という 課題 が 入っ て いる の でしょ う。「病気 になり、 肉体的 な 苦しみ のなか で、 どの よう に 生きる か」 という 一章 が、 問題 集 の なか に 入っ て いる の でしょうから

 

 

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その 問題 を 頑張っ て 解い て ください。  (中略) 病気 も、 あなた の 人生 の 一部 なの です。

 

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しかし、 病気 の とき に 人 は 信仰 に 目覚める こと も あり ます。 それ は 大事 な ことです。 健康 で、 仕事 も うまく いき、「 ハッピー、 ハッピー」 で 生き て いっ た 場合 には、 信仰 に 出会わ ず に 人生 を 終わる こと も 多い の です。  (中略)

 

 

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病気 も、 信仰 に 入る ため の 一つ の 大きな 入り口 なの です。   そういう こと も ある ので、 もし、 信仰 に 入る チャンス として 病気 に なっ た なら ば、 それ も また、 ありがたい こと だ と 思う べき です。

 

 

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病気 にでも なれ ば、 床 に 臥し、 やがて、 人生 の 終わり を 迎える とき が 来る。 しかし、 それ は 外見 だけの こと で あっ て、 人間 として の 本質 は『 生き 通し の 生命』 なの だ。 以上、引用おわり

 

 

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飛び飛びで、言葉を引用しているので、本を読むと、以上の文章がつづきになっているわけではありません。 けれども、いずれも書籍にある仏言です。 病気になるのはつらい。他の人が皆なっているわけでもない、重い病気ならなおさらです。

 

 

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同じ病にみながかかっているなら、気持ちの共有も互いに出来るだろうけれども、その病気にかかっているのは外ならぬ、この自分自身なのだ。 けれども、病の中にあっても、学べることがあるし、それがその人の人生の問題集の一つなのであるのだと。病気という課題があったのだと。

 

 

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病気を通して、病気と闘って生きるなかで、信仰に目覚め、信仰心をさらに深めながら生きることができたなら、あなたは立派に生きたのです。 「心に寄り添う3」の映画とかを見ると、きっと救われる部分があるんじゃないかなー。わたしも観て、そういう気持ちになりました、この映画。オススメです。

 

 

 

病気に関する仏言のところを引用したけれども、今度は「死」についてもつながる箇所を。 実際は病気と死を一連で語られている話が多いのだけれど、あえてそれぞれ別にして、病気と闘っている人はまだ、生きるために戦う必要があるし、一方の死は、最後は誰もが迎える必然の最期という意味で

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以下引用。 「自分は、もう終わりだ」と思うかもしれませんが、そんなことはありません。まだまだ、やれることはあります。   今世において最後に残るものは心の 修行 です。それしかないのです。

 

 

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しかし、やがて死は 訪れます。   現代医学においては、人間の 寿命 を少し 延ばすことができますし、死にかけた人を二度や三度は治すことも可能にはなっていますが、現代医学は、百パーセント、最後は死に敗れます。死に打ち勝った医学はないのです。

 

 

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いくら戦おうとも、必ず死に敗れることになっています。死は百パーセント勝ち、人は必ず死ぬことになっているのです。 一つや二つの病気を 克服 しても、人は、やがて死にます。現代医学は、人間の寿命を少し延ばすことはできても、死から 救うことはできないのです。

 

 

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現代医学にできるのは、その人にとって大事なときに病気で死なないように、死期を 遅らせることぐらいです。  (中略) ただ、それを乗り越えても、病気が起きることはあります。それは、 逃れることができないものです。この世の人生には必ず終わりが来るからです。 諦めて受け入れてください。

 

 

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病気も、あなたの人生の一部なのです。   したがって、悲しい 最期 になるのならば、その悲しい最期を 迎えなければいけないのです。そのような人生のシナリオもあると言わざるをえないので、そのときは、「自分には、こういう課題が残っていたのだ」と考えてください。

 

 

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もちろん、信仰に出会ったとしても、やがて人は死にます。しかし、死ぬ前に信仰に出会い、信仰を手にしたならば、それは大きなことです。  (中略)

 

 

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「自分にまだ 生命 がある」ということの 尊 さを感じてください。「残された生命を、どのように使わなければいけないか」ということを考え、その生命の尊さを感じてください。 以上、引用おわり

 

 

 

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先ほどの引用と同じく、本文では必ずしもひと続きになっているわけではありません。 部分部分から抜粋して、引用させてもらいました。 「生命の法」できちんと通読してもらうのが一番で、そのためのきっかけとして、一部のみ引用させてもらいました。

 

 

病との闘いは厳しい。当事者にとっては、健康であることは奇跡のように思える時もある。もう健康な身体には戻れないのではといって、絶望の気持ちになることだってあるでしょう けれども命がある限り、そこにはまだ立ち直るチャンスはあり、なにか学びをして新生する重要なテーマがあるのかもしれない

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けれども最終的には、すべての人がいずれ死ぬのだ、ということ。死は避けられない運命なのだということ。 この世を去ることは、残される人にとっては悲しいし、去る方も思い残すことが沢山あって、悲しいに違いないです。 でもここは、借りの宿り、旅先のようなもの。

 

 

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最後は肚をくくって、泰然自若として、死が近づいてきたら、お別れの時が来たのだなと、覚悟を決める気持ちも大切なのだろうな。 実践出来る自信もないけれども、こうした学びを心に刻みたいと思いました。 「生命の法」を再読して …

 

 

死というものは、文学で読んだり、映画やドラマで何度も見たりしていても、 自分の身近で、愛する人と死別するという経験は、まったくそれとは違うものだ。実感として違う。それはなぜかといったら、やはり物語は他人事であって、それが終われば元の人生に戻って、人間関係も失われていないからで、

 

 

 

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けれども肉親や友人、世話になった人とのお別れは、愛が深いほどに、つらく悲しいのが当然であろう。 尊敬する偉人が亡くなったとて、やはり身近な人との別れほど悲しいというのは、滅多に無いに違いない。 こういう経験を、生まれ変わるたびに、何度も何度も、何度も何度も経験しているはずなのに、

 

 

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悲しみは、愛の深さを知るために、存在する必要があるのかもしれない。 この世における悲しみは、人の心の中に、愛の深さを感じさせる。愛を深めるために、人はつらく悲しい時を、しばし過ごさないといけない。 それが真理なのかもしれないと思いました。