現時点での苦しみについてあまり考えすぎることなく、「時間がたてば解決するものだ」と思って、自らの救済に 邁進 していただきたいと思います。
震災の被災者への御法話ですが、このあたりは普遍的・一般的にも有益な御言葉です。
時が解決する。これは、わたしの母も好きな言葉で、どれほど悲しくつらいことがあったとしても、時が心を癒してくれるよ、という意味合いで、よく母が言っていました。
時間の流れの中で、心は確かに癒されます。つらい記憶も、その時点での苦しみがずっと同じ度合いで続いたら、人はおそらく耐えられないでしょう。
だから過去世の記憶も、忘れていることは、慈悲なのだと思います。悲しい思い出は、ずっとそのままで覚えていたら、つらくて、前向きに生きることを阻害しかねない。
善い思い出だけ残す、というわけにもいかないから、前世の記憶はすっかり忘れていても、それは有難いことなのかもしれません。
時間が立てば解決すると信じて、「自分の救済」に邁進してほしい、と。
自分の心を救うことが大切ですね。肝に銘じます。
苦しいさなかにある時、絶望するのではなく、時が徐々に癒してくれると信じて、自分を救おう!
すでに起きたことについては、あまり自分を責めすぎてもいけないし、他のものを責めすぎてもいけません。やはり、そこから最良のものを引き出し、「教訓は何であるか」を学ぶことが大事であると私は思うのです。 いろいろな悲劇、災害、不幸等は起きますが、最後は受け入れなければならない運命もあるでしょう。大事なことは、「そこから何を学び取るか。何を未来への指針にするか」ということなのです。
ここもまた、一般的・普遍的なテーマとして、すべての人に学べる重要なポイントです。
すでに起きてしまったこと、過去の事件、悲しい出来事、失敗など。
そうした、すでに起きたことをいつまでも引きずって、自分を責めたり、他の人を責めても、なにも解決しない。生み出されない。前には進めない。
後悔はいくらしても、その過去の事実そのものを変えることは出来ないので、悶々と繰り返して悔やみ続けるだけになってしまう。わたしもやりがちなので、この負のループにはまると如何ともしがたい、その苦しみがわかります。
そうではなくて、その痛い経験から、なにを学ぶのか。教訓は何であるのか。
今からでもやれること、やりなおせること、打ちだせること、最良の選択、決断をすること。それが大事なのだということ。これはずっと初期から、総裁先生は教えてくれていますね。
いざ、その時になると、なかなか出来ない。でも、未来へ向かって進むため、現在を前向きに生きるためには、後ろを振り返って後悔ばかりしていてもダメ、過去の辛い体験はつらいことは変わらないけれど、
そこからどんな教訓を生かして、今後の人生をわたしは生きるのか。それが大事。
悲劇や災害、不幸など、さまざまに起きて来るけれども、最後は、受け入れなければならない「運命」もあると。
これは厳粛な事実ですが、最後はそれを受け入れないといけない。その覚悟が要る。人生にはそういう試練が多々あるのだということを、肝に銘じたく思います。
私たちも、いろいろな苦難や困難に遭うことはあります。ただ、それが現実に起きたことであったとしても、「それを、どのように受け止め、どのように乗り越えていくか」ということは、やはり、各人に任されていると思うのです。
地震 や 津波 は、今後も、世界各地でまだまだ起き続けていくかもしれません。 したがって、「そういうときは、 修法『エル・カンターレファイト』で助かります。それが間に合わない場合は、とにかく、『エル・カンターレ』の名を呼ぶだけでも助かります」ということを伝えながら、
エル・カンターレ・ファイトは、信者に与えられた秘儀ですね。
信仰心があることが、この秘儀を成就させるための条件であること。信仰心が必須であること。
震災時の、信者の奇跡体験が紹介されています。
当会に入ることを望んでいる人には 真面目 な人が多く、「真理の勉強や 修行 が進んでからでないと、信者になってはいけないのではないか」と思い、 遠慮 している人が多い …
これはわたしもそうでした。発刊された書籍をすべて読み終えてから、正会員の申し込みをするのが礼儀だと思って、実際にそうしました。ぜんぶ読み終えてから、正会員の申し込みをしました。
三帰誓願者になったほうが、もちろん、光は強くなり、いろいろな 奇跡 が起きやすくなります。これは当然のことです。
「情熱からの出発」に、会員になることの意義が語られていましたね。
当時は、正会員と誌友会員。現在の改訂版書籍では、三帰誓願者と入会者制度になっている、と注にありました。
会員になっているのと、なっていないのでは、ぜんぜん違うのだ、とありました。
本御法話でも、つぎのように述べられています。
「会員のままのほうが金銭的負担が軽い」と思っている人がいたら、そういう人には、「実際には、三帰誓願者になるほうがよいのです。こちらのほうが、あの世へ行ってから、〝お得〟です」と述べておきます。
信仰 による 奇跡 は、一つの宗教的な方便として、歴史上、数多く起きてきたことなので、幸福の科学においても、必要な奇跡は 与えられるでしょう。
みずからの心に、しっかりとした信仰心があるのなら、必要な奇跡は与えられるでしょう。
この福音の言葉を信じよう。
普通、「オーラが出ている」とよく言いますが、それは、「神の光を受けている」ということであり、 天上界 から下りてきている光が体から出て、周りの人に当たるのです。
先ほど、Xでちょうどオーラの診断テストをやりました。他の信者さんも複数、同じテストをやられていました。
オーラとは、オーラとしてその人から発せられている光は、神さまからその人が受けている光そのものですね。
神の愛を受けてオーラを発している人は、そのオーラの光が、周囲の人に感化を与え、癒す力を持つことでしょう。なぜならそれは、神から来るものだから。
「今回の被害は物質的にのみ回復されるものではない」ということも事実です。そのため、精神的なケアと積極的な光の供給が必要です。今、供給が必要なのは電力だけではありません。神の光の供給も必要なのです。