ナイチンゲール | LEO幸福人生のすすめ

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可愛らしいキャラ絵の上手な人が描いた偉人伝は、読んで心地よいし、ビジュアルを通して学びを得られるので、とても素晴らしいものだと思う。

 

ナイチンゲールは、以下のマンガで読んだ。

 

 

ナイチンゲールは大変裕福な家庭に生まれて、本来なら一生働くことなどしないでも生きていける、そうした境涯に生まれたそうです。

 

ナイチンゲールの優しさを、このようなエピソードでわかりやすく紹介してくれています。

 

お金持ちの家のお嬢様なので、日夜パーティーに明け暮れる日々、しかし、そうしたパーティーに参加する日々に、ナイチンゲールは疑問を抱いてしまう。

心優しいナイチンゲールは、誰かの役に立つような、そうした人生を生きたかったのですね。自分が遊び暮らせればそれでいい、などといって裕福さに満足するのではなく、魂本来の生地として使命として、ナイチンゲールは誰かのために役に立つ人生を生きるのでなければ、自分がこの世に生まれた意味がわからない、そう疑問を感じていたようです。

 

そうしたナイチンゲールの真摯な願いを、父親は理解してくれたそうです。

それから知人男性の理解と勧めもあって、ナイチンゲールは初め、貧民街で生活に来るしんでいる人を助ける、そうした慈善事業に参加したそうです。

しかし実際に貧民街を訪れてみると、こうしたおばあさんを見ればわかるように、ただ食べ物やその他の物品を寄付して置いていってあげればいい、だけの話ではないことを、ナイチンゲールはすぐに悟ります。

こうした人たちに必要なのは、単なる物品ではなくて、差し伸べる手、あたたかな思い、そうして彼らの生活を支えてあげること、だということに気づきます。

人に対する奉仕の人生、のちの看護師としての仕事への予兆が、この時点で早くもナイチンゲールの心に芽生え始めていたかのように思えてきます。

 

看護師の仕事は、当時は信じがたいことに、作品中にあるように、汚く、恥ずかしい仕事かのように思われていたそうです。

そんな仕事に就きたい、と願うナイチンゲールの気持ちを、はいそうですかと素直に理解してくれるような金持ちは、そうはいなかったんでしょうね。

働く必要もないのに、なんでそんな仕事を好き好んでしたがるのか、まったく理解できない、という反応をした人が多かったらしい。

そういう状況で、ナイチンゲールはみずから志願して、看護師になるための道を歩み始める。

有名な、クリミア戦争での働きも、最初は現地の兵士達の冷笑やら、非協力的な態度をとる人ばかりで、看護の仕事すらさせてもらえなかったらしい。

そんな逆境の中で、ナイチンゲールはどのようにして、クリミアの天使と言われるほどの、偉大な仕事を成し遂げることが出来たのか。

周囲の批判や冷笑、黙殺、それどころか、ナイチンゲールの仕事を妨害して、本国に送り返してしまえ、というような人間が、現地の指揮官にいたようで、そこで仕事を為して成果を挙げることが、どれほど達成困難な状況にあったのか。想像に難くありません。

 

続きを知りたい方は、ぜひマンガを手に取って、読んでみてください。

感銘を受けると思いますし、他の人のために生きるとはどういうことなのか、そのための情熱、熱意、こうしたものを、ナイチンゲールの生き方から学ぶことが出来ると思います。

 

 

 

 

ちなみに、幸福の科学におけるナイチンゲールの霊言によれば、彼女は前世、鎌倉時代に生まれていたそうです。

 

 

 

 

霊言中では名前は出てなかったかなぁ。たぶん、源頼朝の長女の大姫がその過去世なのだと思いますが、この大姫という女性は悲しい人生を生きて、若くしてこの世を去ってしまっています。

鎌倉幕府の創立者である将軍・頼朝の娘でありながら、彼女を襲った悲劇とは何であったのか。

以前、記事で書いたことがありますが、平家打倒のために源頼朝が伊豆で旗揚げをしましたが、木曽の方でも、源義仲という頼朝の異母弟が旗揚げをしています。

京都への上洛と平家打倒に大きな仕事を最初に為したのは、むしろ木曽義仲の方だったんですよね。その義仲と頼朝は、父を同じくする兄弟のはずですが、当時のこととて、兄弟間であっても争いは起きます。現に頼朝と義経も仲たがいして、義経は頼朝の指令によって討たれていますしね。

 

大姫の話に戻りますが、大姫は、鎌倉に人質として送られてきた、木曽義仲の息子の義高と許嫁の関係になります。

幼い大姫は、この方が将来、自分の夫になる方だと素直に信じ、二人は大変仲良くなって、幸せな日々をおくります。

ところが、父同士の仲がふたたび険悪になると、頼朝は木曽義仲を討つことにして、今日へ軍を送って義仲を討ちます。

将来の禍根を絶つために、その息子の義高の命もこの際奪っておいた方がいい、ということで、義高を処刑するよう命じます。

これを事前に察知した、大姫ほか周辺の人たちは、ひそかに義高を逃がすのですが、逃げる途中で追いつかれてしまい、結局、義高は殺されてしまうんですよね。

その事実を知った時に、大姫はもはや、この世で生きる意味を失ったかの如く、深い悲しみの底に沈んでゆき、20歳にもならないうちに、憔悴のうちにその命を終えてしまうのです。

 

大姫の生涯とナイチンゲールの生涯を比べた時に、このマンガを読んでいて思ったのは、父親の権威のもとで、理不尽な運命に心を打ち砕かれた大姫の悲しさと、同じように、裕福な家に生まれて、貧しい人のために働くなどもってのほか、という当時の金持ちたちの常識を打ち破って、看護という仕事に命をかけたナイチンゲールの人生に、この魂の姉妹の学びと成長を見出せるように思えやしないでしょうか。

 

それからまたスピリチュアルの転生知識によれば、人は何度も生まれ変わり、ある時は裕福な家庭に生まれ、また別の人生では貧しい家庭に生まれたりと、違った境涯で生まれることによって、さまざまな学びを得ているらしい。

金持ちの時に、貧しい人たちに施すのは易しいはずなのに、多くの人は自分だけの快楽に溺れてしまって、そうした慈善事業に身を投じる人は少ないらしい。

そうした人は、貧しい家庭に生まれて、助けてもらえない辛さを経験することによって、前世のカルマの刈り取りをやると同時に、次の人生では、そうした人たちを助けるような生き方をせねば、という学びを深くすることになるのかもしれません。

そうした経験を重ねることによって、豊かであっても驕ることなく、他の人のために自分に出来ることをする。そうした魂の深みを、人は獲得するのかもしれません。

トルストイは名声と富をともに若くして手にした方ですが、名声に驕ることなく、貧しい農民たちのために自身の富を使って彼らを支えるという、そうした仕事をしましたね。

過去の時代、王侯貴族はあまた存在したはずですが、その中で、自分一個のエゴに生きる人生に終わることなく、民衆のために真摯に生きた人がどれだけいたでしょうか?

自己満足のなかで、他の人のために生きる優しい心を持つことは難しいのだけれども、それが出来る人こそは、本当に偉大な魂の持ち主なのではないかと、わたしは思います。

ナイチンゲールの人生は、そうした偉大なる人生の一例として、学ぶ価値のある人生ではないかと思うのでありました。

 

 

源頼朝の娘、大姫の物語は、以下の永井路子さんの小説で読むことが出来ますよ。オススメ。