三浦綾子さんの、数多い小説やエッセイから、さらに厳選して抽出された、すばらしい言葉を編んだ名言集。
通読してみると、その言葉が出てくるエッセイなり小説なりを、実際に手に取って読んでみたくなります。
その著書数は膨大なので、よほどのファンでなければ全作読んでいる人はいないのじゃなかろうか、と思いつつ、
この名言集から、わたしが感銘を受けた言葉を幾つかを紹介するだけでも、この三浦綾子さんの心の豊かさ、精神の深さが、感じ取れるのではないでしょうか?
人間は生きているかぎり、如何なる人間であっても使命が与えられている
人の真似なんかせずに、自分の言葉で書け。どう書いていいかわからなかったら、何でもかんでも、じっと見つめてみろ。そして感じてみろ。書いているうちに、書き方は次第にわかってくる
自己中心とは何だろう。これが罪のもとではないか
もし神が、 「いまのあなたの生き方は、それでよいのか」 と問われたとしたら、何と答えることができるだろう。 信仰に熱心なつもりで、不平不満を胸にいっぱい満たして、礼拝に出かけていたり、愛しているつもりで、常に人をさばいていたり、清く生きているつもりで、冷たく人に接していたり、正しく生きているつもりで、常に人を見下げて 嘲笑 していたり、わたしたちは、実に多くの過ちをくり返しているのではないだろうか。
自分に正直ってなんだい。まさか、自分の感情にだけ正直ということじゃないだろうね。
何時も思うが、人生の曲り角と思われる事件の背後には、実に配慮の行き届いた神の愛が働いていると思わざるを得ません。
私は長い療養生活の中で、様々な宗教への誘いを受けた。この宗教を信じたら病気が治るという人たちがいた。が、私は治っても結局はいつかは人間は死ぬのだと思うと、その誘いに耳を傾けるわけにはいかなかった。宗教は死の問題を避けて通ることはできない。治るか治らないかよりも、「死」とは何かを知りたかった。
私は長い病気の間、この世に病気がなければよいと思った。自分の人生に、こんなに病みつづける日が来ようとは……と嘆いたこともあった。だが、今となっては、自分の人生をふり返ってみるのに、その受けた試練は、宝玉のようなものだと感じている。
今、生きることに希望を失った人たちがもしいるとすれば、私はその人たちに言いたい。 「自分で勝手に、自分の未来を決めてしまわないでください。こんな未来しか待っていないなどと、わかったような顔をしないでください。神の書かれるシナリオと、あなたの書かれるシナリオとは異なるのです」 と。
これらの言葉の前後に、さらにオリジナル小説の会話が載っていたり、エッセイでも前後の言葉がさらに収録されていて、読んでいると非常なる啓蒙を受ける名言集です。
引用元の著書の題名も載っているので、この名言集を通して、三浦さんの作品を発見して読んでみるのも良いかと思い、紹介させていただきました。