つまらないプライドは要らない 捨てればいい | LEO幸福人生のすすめ

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余計なプライドが自我の殻を作ってしまうのだろう。

自分に間違いがあってもそれを認めず、自己正当化の誤魔化しに走らせたりする。

屁理屈や詭弁を弄して自己弁護して、返す刀で他者の責任にしたり、他のことがらのせいにしたりして、自分の非が原因であることを認めないための「言い訳」や「言い逃れ」を巧妙に作るのだ。

こうすることで、間違ったままの自己が安心することが出来る。
自分の非を改めることをしないで、今までの自分のままでOKとなって、ことを済まそうとする。

こういうことを人はよくしてしまうもので、自分の欠点を放置して改めないままで何年何十年と生きるのは、そういう方法によって自己をあざむく術を身に着けるからで、かつ、その方が楽だからである。

自己変革というのは、すでに立派な自分が、さらに高みを目指してさらなる立派さを目指す、という境地ならともかく、
未熟な自分が、自分の非や欠点を改めて、少しでも成長する、という段階においては、自分のマイナスポイントを見たくないという心理が働くので、そうした自己弁護・自己防衛の気持ちによって、人は自分の問題点を直視することから逃げようとするのだろう。

誰かから注意を受けたり、叱責をされたりした場合、傍から見たらその注意や叱責はごもっとも、という場合であっても、これを素直に聞く人と聞かない人がいる。
聞かない人はたいていの場合、プライドが高いという特徴があるだろうし、それも分不相応なプライド、本来持つ資格の無いプライドを持っている場合が多いのではないか。
そのつまらないプライドが、素直に人の忠告を聞くことを阻害して、それは自分のせいではない、とか、組織の問題だとかいって原因を摩り替えて誤魔化し、決して自己の非を認めないような逃げ口上を編み出そうとするのだろう。

プライドが高いと、素直に聞かないだけでなく、その忠告や叱責のことばに恨みを抱き、それを打ち返して振り払うための言い訳や言い逃れを、それこそ一生懸命になって考え出そうとして、自分には罪は無い、間違いは無い、あらためる必要はない、それどころか、そんな指摘をした相手の方こそが間違った人間なのだ、と言いたがるほどに、自我が硬直化した人間もときどきいる。
この手のタイプの人の場合は、自己保身の気持ちが相当強いがために、いわゆる我が強いと他人から言われるタイプであり、強情で頑固、偏屈な性格だったりするものだが、自分への注意を一切受けたくない、というほどにプライドが異常なほどに高くなっていたりするんですよね。
だから少しでも自分に対するマイナスの指摘があると腹を立てたり、納得できない気持ちを払拭するために、自分への注意を別の原因に摩り替えるための誤魔化しや詭弁、屁理屈をそれこそ必死になって考えようとまでしますね。

そういう過度のこだわり、異常なまでの執心こそが、プライドへの固執そのものであって、それだけ強固に自分の間違った偽我を捨てまいとする、迷いの状態そのものなんですけれどね。
これは、本当に、自分の偽我(つまらないプライドを伴う)と徹底的に戦わねばならない魔境に立たされた時に、あなたは自分の非を認めて人生をやりなおす覚悟がありますか? それともその偽りの自分に執着して魔の言いなりになって生きる道を選びますか? という問いに対して、決断を下さないといけない時がくるでしょう。
前者の道を選んだ人は、幸いへの道へ回帰できますが、後者の道を選んだ人は、苦しみからは脱却できない、さらに悪しき道に迷い込むかもしれません。一見あとの道の方が楽に見えるんですけどね、現状維持で今までの自己のままで変えずに済むのだから。
前者の生き方は、自分を改める、自分の非を潔く認める必要がある。いままでは認めずに逃げてきた、自分の非を直視して、どこが間違っているのかをそれこそ素直に認めるところまで、心を浄化してゆかないといけない。それが本当に直視出来て、自分を改めます、と神仏に懺悔する気持ちになった時には、涙がボロボロこぼれると思います。

うわべだけの自己反省ではこうはならないでしょう。本当に悔い改める、というのは、自分を変える覚悟を持つ、決意をする、その第一歩を踏み出しますと決意する瞬間を伴うものであって、その切り替え地点、人生の分岐点で前後裁断された証しとして、涙がボロボロ流れての自己変革の意志というものが現れるはずだと、わたしは思います。

自分の体験からしてもそう思うし、宗教的な回心を経た聖賢の方々の回想記録をさまざまに読んでも、深い自己変容の体験にはそうしたものが伴うこと、間違いないと思います。