過剰反応はフラットに非ず


こんにちは
オールドソウルの
ふるたま あやです

今回は小説「正欲」を読んで

 


自分が日頃思ってるコトに
少し自信が持てたんで
最近よく耳にする


多様性

ダイバーシティ
LGBTQ
ポリコレ


そして昔から言われている

差別・特別

について思うところを…それは

ことさらに取り上げたり
手厚く配慮するコトが正義なんでしょうか?


と言うコト

物語の設定でゲイや障害者が多く使われたり
白人が主役のアニメを黒人で実写化したり
ダウン症や車いすの人形を作ったり

物語の設定に関しては
ただ単にドラマティックなのと
ただ単に流行りに乗ってるだけではないかと
その方が目を引くし
あっと驚く展開にも出来る…という

それに俳優さん的には難役である上
美化して描かれるコトも多かったりするので
イメージや評価も上がりやすい

視聴率第一主義のギョーカイに
都合よく使われてるんではないかと
やりかねんよなと

過剰なポリコレについては…
ホントそこまでする意味が分かりません


少数派について知ろうとするコトは
悪いコトではないし
嬉しいと思うヒトもいると思うけど

ヒトによっては

知ったところでどうなん?
自分は普通で良かった!って安心した?
こっちは別に同情なんていらんから
上から目線やめてくれへん?


…とか



少数派のヒトは自分が少数派であるコトを
ある程度は自覚しています
そして多数派に偏った社会で
どう生きて行くかも
経験によって心得ていると思います

そんな中で望むコトは

腫れ物に触るようでもなく
壊れ物を扱うようでもなく

自分が自分を生きるコトを
肯定できる社会になるコト


じゃないかと思うのです

共感して欲しいとか
理解して欲しいとか
受け入れて欲しいとか

そんな大それた?コトは思ってなくて
なるほどそういう現実があるんだねと
ただ「認識」してくれればそれでイイ

それだけでも自分を否定せずにすむ

とは言え実際に助けが必要なヒトには
最低限の手助け…例えば

車イスでも行き来しやすいとか
授乳室が設置されてるとか
盲導犬と一緒に入れるとか

やりたいコトが出来る
選択の余地がある
同じスタートに立てる

それで良いんじゃないかと思うんです

女性議員を増やしたからって
「お嬢さん」を「お子さん」と言い換えたからって
パフォーマンスの域を出ないコトに
なんの意味があるのかと思ってしまいます

マジョリティの過剰な配慮
マイノリティの過剰な要求


そういうモノがなくなって初めて
多様性社会と呼べるんじゃないか
ホントは多様性だなんだと言ってる間は
ただの努力目標に過ぎないと思うんだけどね

たくさん書いてたんだけど
いろいろ考えすぎちゃってまとまらなかったんで
大幅に端折ってUPします

一括りに出来ないコトをまとめるって
すごく難しい…
改めて「正欲」はすごい作品だなぁと
強く実感しました


 

 

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