厚木公開を振り返って | 新・駆け出しジイジのブログ

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主に飛行機に関することをアップしていきます。

先週末のエンドで話題になったのが、公開に押し寄せた長蛇の列。

車道を挟んで反対側にまで折り返した大行列に、昔を知っているベテランさんたちはパスした方もいらしたとか。

そんなベテランさんから1960年代の厚木公開写真が送られてきましたので、私も振り返ってみました。

 

フィルムにはスタートとラストがあって、36枚撮りならうまく装填すれば38枚撮れました。

このコマはうまくできたのでフィルム送りしたときの風景が写っていますが、何処だかお判りでしょうか?

答えは1968年5月19日の相模大塚駅前で、今は右側にコンビニがあります。あくまでフィルム送りが目的で、この風景を撮る気がないのが画面の傾きから分かります。

 

その年、エプロンに入って最初に目にしたP-3。

後ろは先代のコントロールタワーで、壁にはNAS ATSUGIの文字が見えます。

翌年は1969年5月18日。この年はいいお天気でしたが、それでも入場者は少なく、我慢すればこんな写真も撮れました。

前年P-3がいた所はUC-45スナブに変わっていましたが、タワーの文字はNASのまま。

それがNAFに変わるのは、海自が同居するようになってから。

1972年5月21日の厚木正門にはAIR FACILITYの文字と共にガードが海自隊員になっています。

入場して正面のイベント広場手前にあった消防署の看板もNAFに変わりました。

70年代に入り飛行機以外にもレンズを向けられるようになったとはいえ、デジのように無制限とはいかず無駄打ちができるほどの余裕はありませんでした。