昔探し 根岸飛行場№2 二式大艇編(2020.08.28) | 新・駆け出しジイジのブログ

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主に飛行機に関することをアップしていきます。

大日本航空は開戦前に人員・機材一切が海軍に徴用され、『横須賀鎮守府第五徴傭(用)輸送機隊(原文のまま)』下となり、使用機種も二式大艇が配備されます。

〇尾翼に横鎮74の文字が入った大艇 写真キャプションには『根岸飛行場から飛び立とうとしている二式大艇(この場所は現在埋め立てられていて日石石油所になっている。左前方の崖山は二の谷、三の谷)。』

〇やぶにらみ磯子郷土誌には『スベリ(昇降用滑走台)から降りて離水エンジンを始動させた二式大艇。』

右に写っているブイに対しては『陸地移動用車輪を水中で着脱させるための浮き(通称キンタマ)』のキャプションが添えられています。

<ネットより>

 

ここでは筆者が飛行機好きではないか?と思える記述を要約します。

『九七大艇に代わって主翼支柱がなく、一回り大きくなった二式大艇はまさに空飛ぶ軍艦で、離水した時の爆音はすさましいものがあった。』

        <上と一連のコマと思われる 横鎮74の大艇 ネットより>

 

『離水は風向きにもよるが、本牧沖向きが多かった。着水は磯子滝頭岡村の上を低空で根岸湾に進入。それは窓ガラスが割れそうな轟音だったが、子どもたちは屋根をかすめる巨大な飛行艇を心強く見上げていた。』

<ネットより>

 

『二式大艇は水上で激しく上下運動することがあり、その防止にカツオブシと呼ばれる新工夫や、電探という新装置もどこからともなく子どもたちの耳に入って教室で話題になった。』

<ネットより>

 

『根岸と富岡に残った機体は穴があけられ根岸湾に沈められた。今はそこが埋め立てられて工場やコンビナートが立ち並んでいる。

杉田商店街の「菓子一」のご主人は富岡の横浜海軍航空隊所属の二式大艇が沈められたものの浅瀬で干潮時には舟艇の上半分が海上に出ている姿をスケッチしている(この機体、朝鮮動乱で鉄が高値になり、いつの間にか解体・持ち去られたとのこと)。』

<画像と本文とは関係ありません ネットより>

 

『戦後根岸で二式大艇を封鎖に来たカタリナのパイロットたちが機内で平気でタバコを吸って日本人乗員を驚かせた(否定はできませんが、確かに驚く話です。「機体の近く」が周囲に伝わるとき「機内」になった可能性はありそうです)。』

458BGB-24翼下でタバコを吸うクルー 航空ファン別冊「頭上の翼」より>

 

二式大艇最後のフライト(香川県詫間から根岸までの片道飛行)に関しては他でも紹介されているのでここでは触れませんでした。

<動翼が固定されていることから運ばれた大艇かもしれません ネットより>

 

文中にある富岡の横浜海軍航空隊に関しては、金沢区富岡総合公園に一部面影が残っていますが、それに関しては別の機会に紹介します。