昔探し 根岸飛行場編№1(2020.08.271) | 新・駆け出しジイジのブログ

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主に飛行機に関することをアップしていきます。

読んだ内容を短くまとめることに意味があるかどうかは分かりませんが、図書館から借りた本は指定日までに返さなければなりません。

私自身の記録と記憶に残すため、まずは根岸に飛行場ができた経緯をまとめてみました。

 

大日本航空は1938年(昭和13年)に設置され、南洋諸島への新路線拡大に取り組んでいました。

そのためには飛行艇(九七大挺)が離発着できる飛行場が必要でした。

<ネットより>

 

そこに目を付けたのが横浜市。

既に明治7年から始まっていた根岸湾埋め立て地を提供することを1939年(昭和13年)324日に出された意見書が市議会を通過します。

これにより

〇国は強権発動することなく、首都の近くに割安で土地を確保できた。

〇大日本航空は用地確保に走り回ることなく、路線拡大(運航準備)に集    中できた。

〇横浜市は当面使用予定のない埋め立て地を、一括払いではないものの国に売却できた。

〇更に国に協力するかたちとなり、政府と横浜市の関係をよくした。

と三方が都合の良い決着となったのです。

<埋め立て前の地図 やぶにらみ磯子郷土誌より>

 

提供する埋め立て地は関東大震災の瓦礫や市内廃棄物の処分地で、32500坪の長方形の島。

このうち10000坪を政府に無償提供。残りを坪40円で買い取ってもらおうというのが横浜市の考えでした。

<埋め立てられた航空写真 ネットより>

 

ところが、国の方は「ただの土地は喜んでもらいます。残りの方はお金がないので当面は坪1円で賃貸するってのはどう?」と返事。

この件についてはたいした議論もされず市議会で承認されたというのですから、よほど国に売りたかったのかもしれません。

<赤枠内が根岸飛行場 ネットより>

 

その後国から支払われる賃貸の入金がどうなったか、また新たな持ち主となった国が大日本航空にいくらで貸し出したかについては資料が見つかっていないとのことです。

<飛行場内の各施設 ネットより>

 

<今の地図と重ね合わせた根岸飛行場 ネットより>

 

今この周辺は日石がデーンと構えていますので、関係者でない限り中に入ることはできませんが、飛行場があったことを示すプレートが設置されているとのこと。

<ネットより>

 

涼しくなったら見に行くつもりでいます。