新・駆け出しジイジのブログ

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主に飛行機に関することをアップしていきます。

こちらも研修会から一週間ほど過ぎてしまいましたが、まずは料亭『霞月楼』から。

この『霞月楼』という料亭についてはネットを見てもらうとして、実際に体験したことを記すことにします。

 

ここにはツェッペリンが世界一周で日本に立ち寄り、霞ヶ浦航空隊で歓迎式典が行われた際の献立が残っていました。

ページの見開き部分に『ドイツ ツェッペリン エッケナー博士』の名前が記されています。

また、リンドバーグ夫妻が太平洋を渡り霞ヶ浦に到着した際の歓送パーティーが行われた場所でもあります。

さすがに90年以上も前なので改築はされていますが、床の間中央の床柱と(画像はリンドバーグ夫妻の写真をまねて会員20数名が並んだ集合写真を激トリしたもの)

100畳の部屋割りは当時の余韻を残していました。

これら以外に霞ヶ浦航空隊との縁は深く、真珠湾攻撃3日前に長門から霞月楼宛に出された山本五十六司令長官からの手紙も残されていました。

これら多くの歴史的資料、遺産を展示している小部屋に押し寄せる協会会員さんたち^^;

また、戦地へ赴く士官たちの送別会で寄せ書きされた屏風が広げられました。

業務や報道のような目的に沿った記録ではなく、その場にいた個人の感情が記された屏風には

血気盛んな言葉以外に裸婦や芸者などの絵もあちらこちらに。

そんな若者たちが酒の席で描いたものだからこそ価値があるのです。

 

次回は霞ヶ浦航空隊跡を紹介したいと思います。

 

努めてもいないのにすることが多く、ブログの更新がままなりません。なので既に1週間が過ぎてしまいましたが、遅まきながら2月クラブ例会の一部を紹介します。

 

最も驚かされたのが、イタレリ1/72のサボイヤSM79。

このメロメロ、わざとらしさも偏りもなく、筆の一発塗りというのですから。

 こちらはハセガワ1/48のF-8E。

リベットを打ちこんだことで精密感がアップされています。

機体の珍しさとキットの珍しさが重なったのは、エイビス1/72の

La-200。

知識の更新が止まっている私としては全く知らなかったのですが、

真っ先に思い出したのがオーロラ1/48のMiG-19。

昔ジェーン年間にザラザラ写真で掲載されたのを参考にしたのでは?という話が伝わっていますが、真偽のほどは分かりません。

これだけでは分かりようがありませんが、レベル1/32 Beaホークの胴体後部に施された凸リベットを再現するために打ち抜かれたプラ板(右下)と凸リベット(左上のビニール内)。

ヒコウキとは違いますが、PLUM 1/80のJR中央線201系。 

窓のデカールはキット指定だと外から貼るようになっていますが、ノリ面を反対にすることで車内側から貼られています。

エデュアルド1/32のBf109 E-4。

画像に写っている配線は全て自作されたものです。

ハセガワ1/72のF-104はトンボ鉛筆の自社用機として作られ、デカールは自作です。

ノア1/48のマッキMc.33 レジンモデル。

普通のプラモですら面倒になっている私としては、とても太刀打ちできるモデルではありません。

なので私のスパッドは先月以来、全く進んでいません;;

 

ニューギニア航空のA220(P2-PGA)が9日に飛来すると聞いていながら、当日は通院;;

仕方ないのでデモが行われるという10日に行ってきました。

 

ところが羽田空港線の枕木から発火とのことで、電車が動かない。

(;゚Д゚)

直通電車は行き先変更になるわ、乗換駅ではホームの変更はあるわ、駅舎内放送と電車の行き先表示とが違っているわと、大混乱。

<1タミ前の消防車>

4本線の機長さんは眉間にしわを寄せながらアイパットとにらめっこ。とうとうタクシー乗り場へ向かいました。

私はというと、余裕をもって出発していたとはいえどんどん時間は過ぎ、このままではデモフライトの時刻に間に合いそうもないので直接3タミへ。

<2タミ前の消防車>

すったもんだの末、やっとお目にかかったニューギニアのスペマ。

東京羽田であることが分かるようにコントロールタワーと、

東京国際空港の文字を入れてパチリ。

このあと環八通りへ出て、帰ってきた転がりを狙いました。

ニューギニアの国鳥である極楽鳥が、エンジンポットとウィングレットに。

そのウィングレットの外側には、垂直尾翼と同じ極楽鳥と南十字星がデザインされていました。

新規ハルカちゃんの能力に不満がある訳ではありませんが、その力がどれほどのものか?を具体的に知ろうとはしませんでした。

知る必要がないくらい満足していたということでもあります。

しかし偶然にも岩国でデジタル一眼と比較する機会を得られたので、ここに記します。

 

岩国最終日、一眼で最後の撮影となったのがこちら。

<デジタル一眼 トリミングを含め画像処理なし 

371㎜×1.6 5472×3648 10.2MB  72dpi  24ビット >

ところが荷物を整理して空港へ向かおうと歩き始めたとき、もう一機のF-35が戻ってきました。

またバッグを開きカメラを取り出すのが面倒だった私は、ポケットに入っていたハルカちゃんでパチリ。その画像がこちら。

<ハルカちゃん トリミングを含め画像処理なし 

129㎜ 5184×3456 9.5MB 180dpi  24ビット >

両方を紙焼きするつもりでトリミングすると

<デジタル一眼 トリミング 2465×1743 2.5MB  210dpi  

24ビット >

<ハルカちゃん トリミング 3181×2249 3.8MB  272dpi  

24ビット >

撮影時の時点で大きく撮影できているのですからトリミングの割合が小さく、サイズ量が大きいのは当然で、数字だけを見ればハルカちゃんに分があります。しかし両者に画像の優劣は感じません。

ならば数字通りか、更に激トリしてみます。

<デジタル一眼 激トリミング 670×474 209.7KB  57dpi 

24ビット >

<ハルカちゃん 激トリミング 855×605 327.6KB  73dpi 

24ビット >

画像を見比べると、数字はハルカちゃんの方がいいのに粒子が粗くザラツキが強いのに対し、一眼の方が滑らかに見えます。

この手の比較はあまり意味のないことは分かっているのですが、3分と違わない撮影時刻と、数十歩歩いただけの場所の違いによって偶然にも画像比べができたというわけです。

 

ポケットから直ぐに取り出せて、片手で撮影ができ、記録された画像は一眼と遜色がない。

改めてハルカちゃんの費用対効果や、ポテンシャルの高さを実感した出来事でした。

 

横浜モデラーズ合同展示会に行きがてら、日ノ出町駅から山下公園まで散歩してきました。

映画の封切という言葉が生まれたオデオン(現ドンキ)から伊勢佐木町に入ります。

 

ここでは敗戦後の横浜を扱った書籍で必ず掲載される不二家がどうなったかを見に行きます。

<横浜思い出のアルバムより>

それは元あった場所(白の工事壁)から少し離れたところで営業していました。

白い工事用の壁で囲まれているのが、不二家(旧ヨコハマクラブ)があったところ。

次に日本最初の鉄の橋だった吉田橋を通り、馬車道へ。

ここでは博識の友人が話してくれた送水口を探しながらの散歩です。

ピカピカの真鍮?でできた送水口は見つけられませんでしたが、銅製?と思われるものがありました。

銘板には『SIAMESE CONNECTION』(シャムコネクション)とあり、今の製造品には使われなくなった言葉が刻まれています。

馬車道から海岸通りに向かい、終戦後GHQが置かれた横浜税関へ。

GHQが東京に移った後は、第8司令軍のプレートが吊るされていました。

<昭和の横浜より>

そのまま直進して大桟橋へ。

その角にあるのがレストラン スカンディヤ。

この前を通る度に、いろいろな思い出が浮かんできます。

 

展示会の帰りは福富町を通り抜け、大岡川へ。

ここはTVドラマなどのロケで使われることが多い、都橋商店街(通称ハーモニカ横丁)。

小さなお店が川に沿って湾曲しながら並んでいるのが分かります。

病み上がりの身体には少々キツイ行程でしたが、心が満足のお散歩でもありました。

 

岩国からの帰宅後、赤い悪魔のたたりか?発熱38.8度の記録更新を含む嘔吐と下痢でノックアウト!!

ベッド生活を強いられました;;

 

しかし予防接種のおかげか、カミさんの看護が功を奏したのか、横浜モデラーズ合同展示会にお邪魔することができました。

いつもなら色々な完成モデルを観て回るだけですが、今回の目的は6月に開催する航空ジャーナリスト協会展示会で使用するT-4ブルーをお借りするため。

そのモデルはハセガワ1/72のブルーで、メチャクチャよくできていました。

模型展示会なら穴が開くほど見つめてくれるのでしょうが、写真やグッズが混在している中で、1点しかないこのスケールモデルが存在感を示すのはあまりにも小さい。

これほど丁寧に作られたモデルを簡単にスルーされないようにするにはどうすればよいか?

モデルがいいだけに責任重大です。

 

岩国からの帰宅後、やっと画像の整理が終わったので続きを紹介します。

最終日は、まさかの赤い悪魔。

しかもお出かけする日に出くわすという幸運に恵まれました。

 

後ろ姿が母親の後を追いかけるカルガモの赤ちゃんたちを思い出させます。

 デビルは全部で6機。

その内#20だけが2本のアムラーム?を吊るしていました。

肝心の赤デビルは、上がりでも転がりでもカバーできる撮影位置を選択したので、キャノピーが見えるのはこれが精いっぱい。

肝心の赤い尾翼はチラリとしか見えません。

それが見えるのは頭上を越えてからで、そのときはお腹しか見えませんでした;;

#08の上りでは偶然にも先に上がった機体が写り込み、立て続けに上がっていったことが分かるショットが撮れました。

最後に上がった#03の燃タンからは、燃料漏れと思われるものが!!

<激トリ>

12時過ぎに上がり、私が留まっていた15時半まで戻ってくることがはかったので、トラブルには至らなかったのだろうと思われます。

 

<激トリ>

黒と赤のデビルが撮れたのは運が良かったこともありますが、「絶対一人で行ってはダメ!!」と言いながら許してくれたカミさんのおかげでもあります。

 

もう一つの収穫は、三沢にいるとばかり思っていたVAQ-135。

去年来た時も姿を見ましたが、今回も出会うことができました。

 

左胴体下にアムラーム?を吊るしたEA-18G。

こちらの#524は右下に下げていました。

さて今日は岩国最終日。

転ばないよう、安全に気を付けて過ごしたいと思います。

 

今日最大の収穫は、黒いデビルが撮れたことです。

 

ただメチャクチャ高い上がりで、肝心の尾翼が見えたのは私の頭上を越えてから。

仕方なく戻りの転がりを期待しました。

 

帰ってきた時は太陽がトップとはいえ、まだ逆光側だったことと、

横風でブラストが撮影者側に流されてしまったこと。

トリミングするとこんな感じで、パイロットネームなどの文字は全く読めません;;

しかしこれを目的に岩国行きを決行したのですから、贅沢を言ってはバチがあたります。

それどころかカミさんが了解してくれたおかげで撮れたのですから感謝、感謝です。

去年の秋、デビル狙いで岩国展開したもののお出かけ中で残念な結果に;;

ならばもう一回、と岩国遠征を企画しました。

 

しかしカミさんは猛反対。

「お爺さんなんだから階段で足がもつれちゃうんだから。転んじゃうんだから。」

「周りに誰もいない所へ行くんでしょ。途中何かがあっても誰も助けてくれないんだから。」

「誰かと一緒ならいいけど、一人で行くのは絶対ダメ!!」

エトセトラ、エトセトラ・・・。

まあ、確かにこんな所へ行こうというのだから心配されるのも分かるのだけれど、デビルの魔力には勝てず実行したのでありました。

 

5時台にも関わらず空港行きのホームは長蛇の列。

岩国行きはボーディングではなくバスに乗っての搭乗でした。

上空で朝日を浴びて、いざ岩国へ!!