「たたりじゃーー」


これは野村芳太郎監督1977年の「八つ墓村」の宣伝コピーですが、「八つ墓村」と聞くと、どうしてもこれが浮かんでしまいます。


山崎努が桜吹雪の中、猟銃と刀を携え、鬼の形相で駈けてくるシーンは、恐らく日本映画史上、最も美しく壮絶なシーンの一つでしょう。


しかし、松竹・野村芳太郎版の「八つ墓村」は、映画そのものの娯楽性は非常に上質かつ壮大なスケールの一級作品ですが、真の金田一耕助ファンならば、渥美清の金田一は、彼の最後の科白に至るまで「気に入らない」はずです。


そこで、本家である市川崑版「八つ墓村」に対する期待は大きかったのですが、残念な作品になってしまいました。市川崑の金田一映画に期待する、犯人の心に秘められた激しい愛との戦いと、その戦いに敗れ、滅びていく美しさが、いまいち描ききれていません。


俺が思うに、「八つ墓村」という作品自体が、松竹・野村芳太郎版の呪縛から解かれてはいないのです。市川版「八つ墓村」は、TVの2時間ドラマ的な中途半端な小作品になってしまいました。


昭和の市川崑の金田一物は、それこそ科白を覚えるほどに観ていますが、この「八つ墓村」は映画館で1度、DVDで1度観たきりでした。


今回、ブログを書こうと思い、検索するとDVD版は廃盤になっているのですね!

自分ちのどこかにはあるんですが、見つからないので、売っているところを探して買ってきました。


そこまでして買うほどの作品ではないと思っていたので自分でも不思議ですが、公開時からこの映画に対する疑問がありまして、どうしてもそれを確かめたかったのです。


その疑問とは、市川崑監督は何をしたかったのだろう・・・?ということです。実を言うと、最後の「犬神家の一族」2006年版も、市川監督は何をしたかったのだろう・・・?と未だに疑問なのですが、それはまたにします。


さて、市川版「八つ墓村」は、クレジットを見ると、フジテレビ・角川・東宝の3社が共同で制作しています。


なるほど。


近頃のアメリカ映画がそうですが、1本の映画を何社もが共同で制作しています。映画が始まる前、FOX、MGMなどのおなじみのタイトルが出た後に、さらにいくつものロゴが出てきますよね。あれがそうです。そういう作品は、たいていが底の浅いストーリーだったり、ひどいものは主役のポジションまでが途中でブレたりします。


それはそうでしょう。お金を出すのは制作会社ですから、金を出したからには作品を自分の思うようにしたいと思うでしょう。3社あれば3社ともが、好きなことを言うわけです。


1996年といえばフジテレビはブイブイ言わせてたでしょうし、映画動員数は激減していた頃で、東宝は大御所俳優を揃えるよりは人気俳優を使用したかったのでしょう。色々と大人の事情があったのかなあ・・・と、なんとなく悲しくなってしまいました。


さて、市川監督はこの映画で何をしたかったのだろう・・・の疑問とは、ラストシーンで「青空に問いかけて」という小室等の主題歌が流れることです。


この楽曲は、谷川俊太郎作詞、小室等作曲の名曲なのですが、その昔、1976年のヒットドラマ「俺たちの朝」の主題歌で、松崎しげるが歌っていました。


俺たちの朝/Victor

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リンクをたどると少し試聴できますので、気になる方はどうぞ。


ドラマ「俺たちの朝」は、大ヒットドラマ「俺たちの旅」の後番組で、鎌倉を舞台に不思議な共同生活をしている3人の男女の青春ドラマでした。


最後は必ず3人が江ノ電の脇の銭湯に行くシーンで終わる、なかなか味のある青春ドラマでした。中村雅俊の歌った「俺たちの旅」は大ヒットしましたが、「俺たちの朝」は当時、松崎しげるがマイナーだったためかヒットはしていません。


ほとばしる水の冷たさに 今日が隠れている

見えない太陽に 向かって鳥たちは歌い

驚いたように地平へとはばたく

答えを知らぬ君にできるのは

ただ明けていく青空に問いかけること

~谷川俊太郎~


もう、しょっぱなから、誰にもまねのできない素敵なことばで、最初の1行でしびれてしまいます。

『ほとばしる水の冷たさに、今日が隠れている』とは、なんと鮮烈な日常描写なのでしょう!

松崎しげるはおいといて、当時から今まで大好きな歌の一つです。


じいちゃんがコミックのスヌーピーを買ってくれて以来、俺は谷川俊太郎が大好きです。「俺たちの朝」も彼の作品だと知っていたので俺の宝物でした。


ところが、この市川版「八つ墓村」では、金田一耕助のテーマ曲として、劇中のところどころにこの曲がかかっています。


最初に映画館で観た時に「俺たちの朝」に似た曲だなあ~???と思いながら映画を観ていて、最後に松崎しげるではない「俺たちの朝」が流れた時には、「ええーーーっ!!」と驚き、さらにはクレジットで「青空に問いかけて/小室等」と出てきたことを、受け入れることができませんでした。


だって、売れなかったとはいえ俺の中では20年間にわたって大好きな「俺たちの朝」という歌だったわけです。それが「八つ墓村」の主題歌って、どういうこと???


それで、受け入れられないままに今に至ったのですが、なぜこの曲を主題歌にこのような映画を作ったのか、もう一度知りたくなったのです。


松竹・野村芳太郎版「八つ墓村」に、生半可な記憶で邪魔されたくないので、こちらもDVDを再購入して、どちらも2回づつ観ました。俺もほんと暇人です。


ところで、原作の「八つ墓村」は、ほとんどが主人公、寺田辰弥の手記で構成されており、辰弥の1人称小説です。


金田一耕助は辰弥の視線を通した描写のみで、さほど登場しません。それゆえ、物語りの構成としては、金田一耕助は初めから犯人が誰か分かっており、確固たる証拠をつかむまでの経緯は、最後の謎解きの時にしか語られません。


つまり、原作「八つ墓村」は、寺田辰弥という身寄りのない孤独な若者が、自分のルーツをたどり、母の壮絶な過去を知り、さらに自分が真実の愛の結晶だったことがわかり、彼自身も愛する女性を見つけるという、若者が本当の男になる青春劇でもあるのです。


市川崑は、もしかして、これを金田一耕助にあてはめたのかも知れません。


青春劇・・・そう思って観ると、この映画の金田一耕助は、実に木枯し紋次郎的です。


「あっしにゃあ、関わりのねえことで・・・」


木枯し紋次郎とは、弱きを助ける勧善懲悪なヒーローのくせに、この科白を残して漂泊の旅を続ける孤独な渡世人です。


TVドラマ「木枯し紋次郎」は本当にかっこよかったー!


なにしろ、オープニングからして、めちゃカッコいい。古い方ならご存知と思いますが、「だれかが風の中で」という主題歌が、時代劇なのにフォークソングで、胸熱なのです。


はい、そのドラマ「木枯し紋次郎」を撮ったのは市川崑で、主題歌の「誰かが風の中で」を作曲したのは当時六文銭だった小室等です。


謎が解けました!


そう思って市川版「八つ墓村」を観ると、これは木枯し紋次郎なのです。


金田一耕助が豊川悦司の変な演技なことも、森美弥子が浅野ゆう子なことも、その美弥子が命を懸けてまで愛した里村慎太郎(宅麻伸)が、ただのダメ男なのも、とても納得がいきます。


なんだか、俺の中で評価がひっくり返って、好きな映画になってしまいました。


辰弥は自分が何者なのか答えを得て大人の男になり、里村慎太郎は破滅し、金田一耕助は、また、ひとり、答えのない旅に出る。


3人の男たちの生き様が、胸に沁みてきます。


三者三様ですが、皆、同じ気がします。男とは孤独に慣らされるものなのです。


愛されても、愛しても、結局一人きり。女性のことはあまり分かりませんが・・・、男が孤独ならば女性だって同じでしょう。


呼びかける声の優しさに 愛が隠れている

小さなほほえみに 渦巻いて友だちと出会い

悲しみの夜を明日へとめざめる


答えを知らぬ君にできるのは

ただ明けていく青空に問いかけること

~谷川俊太郎~



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先日のブログで、1981年の映画「悪霊島」を、評論家でもないのに、偉そうにクソミソにけなしたので、ちょっとだけ反省し、DVDをエライ高い値段で購入して、さらに原作まで購入して、秋の夜長にじっくりと読書&DVD鑑賞をしました。


こういう自腹と労力を惜しむようでは、偉そうなことを言う資格がないと思ったのです。


さて、久々に観た映画に関しては意見を変える気はないのですが、原作は実は何度も読んでいるので、今回はあることに注目しながら読んでみました。


この話の被害者は、女性を除いて、全員が似たような身体的特徴を持つ男性で、作者は最後にはそれを犯人の「好みのタイプ」と表現しました。


その身体的特徴とは、ガチムチの逞しい中年男です。


以前このブログで「強い男への抗(あらが)いがたい憧憬」について書きましたが、これは支配的男性のことを書いたつもりでしたが、「悪霊島」では、もっと端的に、逞しく男性的な肉体への憧憬です。


最近、俺は椎間板を痛めてから、リハビリのためにかなり頻繁にジムに行くようになり、つい人の体格を観察するようになりましたが、日本人の体格は以前に比べると、かなりよくなっているように感じます。


若い時は、今から考えられないほどがりがりに痩せてましたが、今は恥ずかしいのですが、もし俺が悪霊島に行ったら、犯人の餌食になって殺されてしまいそうです。多分、今の俺は犯人の「好みのタイプ」だからです。


周りの人からも体格のことを言われるので、ガチムチだという自覚があります。とはいえ、俺のような体型の人は周りをみると、結構いるので、俺はそれほどでもなく、ましてや憧れの対象になるほどのものではありません。


さて、悪霊島の被害者/事件当事者男性の肉体を、作者がどのように描写しているかを、読みながら書き出してみました。


原文のままです。


青木修三 43歳

「・・・パンツひとつで砂の上に両手をつき、太い両脚を前に投げ出している写真である。なるほど、厚い胸板、広い肩幅、がっちりとしたたくましい体つきである。肉感的というより、いささか淫蕩的(いんとうてき)にさえみえる中年男である」


越智竜平 44歳

「なかなかどうして、がっちりとして逞しいその体は、男盛りの精力を連想させて眩しいくらいである。肩幅も広く、胸板も厚い。胴回りも太く、それに身躾み(みだしなみ)のよい男でいつあってもヒゲをきれいに剃っているが、その剃りあとの青々としているのも男性的である。」


越智吉太郎 43歳

「まったく良い体をしている。中略。その体はどこもかしこもゴツゴツと筋くれ立ってたくましく、脂ぎった膚はギタギタとして動物的な生臭さを思わせる。」


荒木清吉 薬売り父 36歳で失踪

「日焼けして色はまっくろだったそうなが、がっちりとした体格で、どこか如才ないところがある。」

「たくましい肩にめり込むようなその顔は、いかにも三十五、六という年齢を思わせて精力的である。」

「裸の上に回しをつけて、蹲踞(そんきょ)のかまえをしているところを、正面から撮った写真である。なるほどこうして裸でいるところをみると、よい体をしている。広い肩幅、厚い胸板、太い胴回り。体全体にボリュウムが充実していて、はち切れんばかりの精力が、静なる構えのなかにも躍動している。」


荒木定吉 失踪した清吉の息子 22歳 

「行商人などに似合わない逞しい体つきをしているが、首から上と下ではまるで膚の色がちがっているのは、絶えず行商をして歩くので陽に焼けているのだろうか。それにしても指が太くゴツゴツしているのは行商人とは思えない。まるで肉体労働者のようにみえる。」


妹尾松若 神楽太夫 33歳で失踪

「神楽そのものがそうとう激しい労働であるうえに、(祭りの)かけもちがひどいから、体の弱いものには務まらない。だからみんな頑健で、たくましい体をしている。」


妹尾勇 失踪した松若の息子 23歳

「おまえは父ちゃんに似て逞しゅうええ体に生まれて育った」


山城太市 淡路人形遣い 36歳で失踪

「身長は一六八センチ、体重は七五キロあり、ちょっとお相撲さんを思わせる体格だったという」


以上。


犯人がなぜそのような男を殺したかというと、これは非常にロマンチックで、自分が本当に愛した初めての男が、そのような逞しい男性だったためです。


しかも、その愛は無残にも引き裂かれて、最悪の結果をもたらし、その時に壊れた心は、生涯戻ることがなかったためです。


映画版ではそこをもっと悲劇的に描き、また犯人も変えています。創作を加えることはいいと思うのですが、原作以上に救いが無く、猟奇的になり、カタルシスがなくなってしまいました。


それにしても原作では、全編にわたって何かと男性の肉体や性を感じる描写が多く、横溝大先生は、78才位に執筆なさったわけですが、さすがに老齢と思わせる、かなりのしつこさです。


最近は30歳以降の太い男がモテるようですから、女性の好みも色々と変わりますが、これは全体の年齢が上がってきているのと、日本人の体格がよくなったせいでしょう。


このような男性がお好みの女性の方、または男性諸君には、上記の逞しい男たちに何が起こったかを想像しながら読めば、また違った読み方で、非常に楽しんで読めると思いますよ!


ガチムチ万歳!


最後に、原作「悪霊島」では、金田一耕助は、ある殺人をその犯人の前で許します。


探偵金田一耕助は、犯人に対して同情的だったことはありますが、これまで決して罪を許しませんでした。それが、強い信念を変えたところをみると、もう探偵業から足を洗うつもりだったのかもしれません。


「悪霊島」が横溝正史の遺作で、実質金田一耕助の最後の事件なわけですから、、これで本当に完結したのだなあと、読後、しみじみと寂しくなってしまいました。



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落陽 (Live)/Sony Music Direct(Japan)Inc.



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「落陽」とは、吉田拓郎の1973年の楽曲で、作詞:岡本おさみ 作曲:吉田拓郎です。





この曲が吉田拓郎のシングルとして出たのは1989年のことで、それまでは1973年のライブアルバムに収録されているバージョンだけでしたが、発表後すぐから「名曲」と言われ、吉田拓郎のファンならば知らない人はいません。





1973年といえば俺は11歳。1976年に山田パンダがカバーした時には、既に拓郎版のアルバムを持っていたので、多分、中学生になったころから聴きはじめたのでしょう。





サイコロ好きなじいさんが、苫小牧発仙台行フェリーで北海道を去る自分を見送りに来てくれるという設定ですが、一つ所にとどまることのできない男の、漂泊の思いがしみじみと伝わってきます。





岡本おさみ、吉田拓郎コンビは、他に「旅の宿」「祭りのあと」「襟裳岬」などの名曲があり、どれも吉田拓郎の代表曲です。




先日、なにげなくYOUTUBEを見ていたら、森恵さんというかわいい女性が、渋谷の駅前で「落陽」を歌っているのを見つけました。




「落陽」は男の歌です。




土産にもらったさいころ2つ


手の中で振れば、また振り出しに


もどるたびに、日が沈んでいく




ということもあり、何も期待せずに視聴し始めたら、引き込まれて見入ってしまった。ということで、俺は森恵さんが誰かも知らないのですが、路上で歌っていることもあり、ここに貼っておきます。






この動画は、彼女の歌唱力も素晴らしいのですが、彼女の前を何も反応せずに通り過ぎていく雑踏と「落陽」の歌詞やメロディーが、非常に合っています。


計算して撮影されたものではないのが、またいいのです。




つい何度も観てしまいます。雑踏の靴音がうらぶれた人の心を象徴しているようで、感動的です。




思いを馳せていたら、1981年2月、19歳の誕生日に、この歌の「苫小牧発仙台行フェリー」に乗りに行ったことを思い出しました。




18歳の春に上京した俺が、東京で初めて迎える自分の誕生日、1981年の2月に何を考えて、「落陽」の歌と共に北海道へ行ったのか?




忘れてしまいました。




誕生日も近いある日、浜松町の桟橋から苫小牧行きのフェリーに乗りました。


その当時は東京―苫小牧フェリーがあったのです。




歌は「苫小牧発仙台行」なので、それに乗るためにはまず北海道へ行かなくてはいけないのです。思いついた日の夜には船に乗っていたので、着の身着のままなもんです。




俺は翌日到着するのだろうと思っていたのですが、なんと到着は翌々日!2泊も船に泊まると、船の中で知りました。




もちろん2等雑魚寝。体育館くらいの広さのある床を大衆演芸場みたいに区切った座敷で、しょぼい売店があり、隅では映画を上映していました。平日だったこともあり、客はまばらで、ほとんどが長距離のトラックドライバーでした。




大浴場があって、翌日、知らないおっさんから、今風呂に入ると気持ちえーぞーと言われ、「蝦夷だけに」とか無駄に突っ込んだりしてみましたが、云われたとおりに明るいうちに入りましたが、本当に気持ちよかった!




この国ときたら、賭けるものなどないさ


だからこうして、漂うだけ




船が揺れているので、湯船ごと揺れて、風呂に波があるのです。


窓から見えるのは太平洋。




しかし、暇だった。食堂もあったのですが、なんとなくいまいちだったので、自販機のカップヌードルを3食。腹は減るし、することもないし、映画は寅さんだし。甲板に出ると2月なので、寒いのです。北国行きですからね。「北へ北へ向かった♪」と、トンボでも歌いたくなる感じですが、まだその歌はなかったです。




さて、ようやく苫小牧に着きましたが、足のない人は俺くらい。とぼとぼと苫小牧港を歩く俺の脇をトラックがびゅんびゅん通り過ぎていきます。




さ、さぶい・・・。俺は北国を知りませんでした。吹雪のなか死にそうになって苫小牧の駅について、ストーブに張り付いていました。




さて、所持金があまりなかったので、銀行で金をおろそうと思ったのですが、当時は都銀と地方銀行が提携しておらず、どこに行けば金がおろせるか調べたら、なんと旭川か札幌。




げー!どうやって札幌へ行こう。計画性がないにもほどがあります。最後の所持金は、苫小牧の駅でシシャモ寿司弁当が空腹の俺にはあまりに美味かったので2個も食ってしまったので、札幌までの切符代もなかったのです。




しばらく考えていましたが、考えても仕方がないので、持ってる金で買えるだけの切符を買って札幌行の電車に乗っちゃいました。




さて、ストーブ列車の中で、降りるときどうしようか考えていた時、その時はアメリカ軍の国防色のジャンパーを着ていたのですが、右腕に煙草を入れるためのポケットがついており、そのポケットから折りたたんだ5000円札が出てきたときの嬉しさ!




ポケットは2重構造になっていて、多分、俺のような粗忽な人向けに隠し金を入れる場所なんだろうと思います。そこに、危機的状況になった時のために普段から金を入れていたことを思い出したのです!




札幌に行く気はなかったのですが、どこを見ても面白いので2泊しました。


ひととのふれあいは、希薄なもんです。俺のことなので誰とでも喋るでしょうが、あまり覚えていません。とにかく、さぶい!寒いのなんのって、のんびり散策なんてとんでもない。




いよいよ誕生日当日、苫小牧にもどり、ハクチョウを見に行きましたが、さらに極寒で俺がハクチョウになりそうだったので、来たバスで帰りました。




苫小牧発仙台行フェリーは、「落陽」の歌通りに夕刻出港しました。


本当に、人がテープを投げるんです。俺の隣の兄さんが「あんたも投げてやってくれ。嫁が来てるんだ」と、赤い紙テープをもらったので、思い切り投げました。「どのくらい離れているんですか?」「2年かな…。これが最後かも知んねえ」




絞ったばかりの夕陽の赤が


水平線からもれている




出港の時にインストルメンタルの「落陽」が掛かりました。今でも苫小牧ー仙台間はフェリーがあるようですね。出港の時にテープを投げるでしょうか?落陽の楽曲に見送られるのでしょうか?

紙テープ、随分長い間、お互いが、出港によって引きちぎれるまでずーっと持っているんです。俺はなんだか感傷的になり、居場所を無くし、そっとその場を離れました




しかし、すっかり風邪を引いてしまい、仙台について2泊もしてしまった。


風邪でもうろうとした頭のまま、仙台のジャズ喫茶に住みつくように身を沈めていました。




常磐線を使って東京に帰った日。上野に着いたらなんとまあ、東京が一面の銀世界でした。


へとへとになって家に着いたら、友だちが3人も俺の部屋にいました。




「お前ら、人ん家で何やってんだよ?」


「お前、1週間もどこ行ってたんだよ!心配させやがって」


「言わなかったっけ?」


「誕生日に消えんなや!警察いこうか考えてたんだぞ」


「苫小牧発仙台行フェリーに乗ってきた」


「あほか!」




結構絞られたけど、いつの間にか酒盛りに。


外ではしんしんと雪が降り続き、酔っぱらって、自分がどこにいるか分からなくなってしまった。




「そんで、落陽は体験できたのか?」


「いま、それを考えていた。あれは俺の歌じゃない。お前らが待ってたことが、一番うれしかった」




ろくでなしの男たち、身を持ち崩しちまった


男の話を聞かせてよ、さいころ転がして







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