落陽 (Live)/Sony Music Direct(Japan)Inc.



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「落陽」とは、吉田拓郎の1973年の楽曲で、作詞:岡本おさみ 作曲:吉田拓郎です。





この曲が吉田拓郎のシングルとして出たのは1989年のことで、それまでは1973年のライブアルバムに収録されているバージョンだけでしたが、発表後すぐから「名曲」と言われ、吉田拓郎のファンならば知らない人はいません。





1973年といえば俺は11歳。1976年に山田パンダがカバーした時には、既に拓郎版のアルバムを持っていたので、多分、中学生になったころから聴きはじめたのでしょう。





サイコロ好きなじいさんが、苫小牧発仙台行フェリーで北海道を去る自分を見送りに来てくれるという設定ですが、一つ所にとどまることのできない男の、漂泊の思いがしみじみと伝わってきます。





岡本おさみ、吉田拓郎コンビは、他に「旅の宿」「祭りのあと」「襟裳岬」などの名曲があり、どれも吉田拓郎の代表曲です。




先日、なにげなくYOUTUBEを見ていたら、森恵さんというかわいい女性が、渋谷の駅前で「落陽」を歌っているのを見つけました。




「落陽」は男の歌です。




土産にもらったさいころ2つ


手の中で振れば、また振り出しに


もどるたびに、日が沈んでいく




ということもあり、何も期待せずに視聴し始めたら、引き込まれて見入ってしまった。ということで、俺は森恵さんが誰かも知らないのですが、路上で歌っていることもあり、ここに貼っておきます。






この動画は、彼女の歌唱力も素晴らしいのですが、彼女の前を何も反応せずに通り過ぎていく雑踏と「落陽」の歌詞やメロディーが、非常に合っています。


計算して撮影されたものではないのが、またいいのです。




つい何度も観てしまいます。雑踏の靴音がうらぶれた人の心を象徴しているようで、感動的です。




思いを馳せていたら、1981年2月、19歳の誕生日に、この歌の「苫小牧発仙台行フェリー」に乗りに行ったことを思い出しました。




18歳の春に上京した俺が、東京で初めて迎える自分の誕生日、1981年の2月に何を考えて、「落陽」の歌と共に北海道へ行ったのか?




忘れてしまいました。




誕生日も近いある日、浜松町の桟橋から苫小牧行きのフェリーに乗りました。


その当時は東京―苫小牧フェリーがあったのです。




歌は「苫小牧発仙台行」なので、それに乗るためにはまず北海道へ行かなくてはいけないのです。思いついた日の夜には船に乗っていたので、着の身着のままなもんです。




俺は翌日到着するのだろうと思っていたのですが、なんと到着は翌々日!2泊も船に泊まると、船の中で知りました。




もちろん2等雑魚寝。体育館くらいの広さのある床を大衆演芸場みたいに区切った座敷で、しょぼい売店があり、隅では映画を上映していました。平日だったこともあり、客はまばらで、ほとんどが長距離のトラックドライバーでした。




大浴場があって、翌日、知らないおっさんから、今風呂に入ると気持ちえーぞーと言われ、「蝦夷だけに」とか無駄に突っ込んだりしてみましたが、云われたとおりに明るいうちに入りましたが、本当に気持ちよかった!




この国ときたら、賭けるものなどないさ


だからこうして、漂うだけ




船が揺れているので、湯船ごと揺れて、風呂に波があるのです。


窓から見えるのは太平洋。




しかし、暇だった。食堂もあったのですが、なんとなくいまいちだったので、自販機のカップヌードルを3食。腹は減るし、することもないし、映画は寅さんだし。甲板に出ると2月なので、寒いのです。北国行きですからね。「北へ北へ向かった♪」と、トンボでも歌いたくなる感じですが、まだその歌はなかったです。




さて、ようやく苫小牧に着きましたが、足のない人は俺くらい。とぼとぼと苫小牧港を歩く俺の脇をトラックがびゅんびゅん通り過ぎていきます。




さ、さぶい・・・。俺は北国を知りませんでした。吹雪のなか死にそうになって苫小牧の駅について、ストーブに張り付いていました。




さて、所持金があまりなかったので、銀行で金をおろそうと思ったのですが、当時は都銀と地方銀行が提携しておらず、どこに行けば金がおろせるか調べたら、なんと旭川か札幌。




げー!どうやって札幌へ行こう。計画性がないにもほどがあります。最後の所持金は、苫小牧の駅でシシャモ寿司弁当が空腹の俺にはあまりに美味かったので2個も食ってしまったので、札幌までの切符代もなかったのです。




しばらく考えていましたが、考えても仕方がないので、持ってる金で買えるだけの切符を買って札幌行の電車に乗っちゃいました。




さて、ストーブ列車の中で、降りるときどうしようか考えていた時、その時はアメリカ軍の国防色のジャンパーを着ていたのですが、右腕に煙草を入れるためのポケットがついており、そのポケットから折りたたんだ5000円札が出てきたときの嬉しさ!




ポケットは2重構造になっていて、多分、俺のような粗忽な人向けに隠し金を入れる場所なんだろうと思います。そこに、危機的状況になった時のために普段から金を入れていたことを思い出したのです!




札幌に行く気はなかったのですが、どこを見ても面白いので2泊しました。


ひととのふれあいは、希薄なもんです。俺のことなので誰とでも喋るでしょうが、あまり覚えていません。とにかく、さぶい!寒いのなんのって、のんびり散策なんてとんでもない。




いよいよ誕生日当日、苫小牧にもどり、ハクチョウを見に行きましたが、さらに極寒で俺がハクチョウになりそうだったので、来たバスで帰りました。




苫小牧発仙台行フェリーは、「落陽」の歌通りに夕刻出港しました。


本当に、人がテープを投げるんです。俺の隣の兄さんが「あんたも投げてやってくれ。嫁が来てるんだ」と、赤い紙テープをもらったので、思い切り投げました。「どのくらい離れているんですか?」「2年かな…。これが最後かも知んねえ」




絞ったばかりの夕陽の赤が


水平線からもれている




出港の時にインストルメンタルの「落陽」が掛かりました。今でも苫小牧ー仙台間はフェリーがあるようですね。出港の時にテープを投げるでしょうか?落陽の楽曲に見送られるのでしょうか?

紙テープ、随分長い間、お互いが、出港によって引きちぎれるまでずーっと持っているんです。俺はなんだか感傷的になり、居場所を無くし、そっとその場を離れました




しかし、すっかり風邪を引いてしまい、仙台について2泊もしてしまった。


風邪でもうろうとした頭のまま、仙台のジャズ喫茶に住みつくように身を沈めていました。




常磐線を使って東京に帰った日。上野に着いたらなんとまあ、東京が一面の銀世界でした。


へとへとになって家に着いたら、友だちが3人も俺の部屋にいました。




「お前ら、人ん家で何やってんだよ?」


「お前、1週間もどこ行ってたんだよ!心配させやがって」


「言わなかったっけ?」


「誕生日に消えんなや!警察いこうか考えてたんだぞ」


「苫小牧発仙台行フェリーに乗ってきた」


「あほか!」




結構絞られたけど、いつの間にか酒盛りに。


外ではしんしんと雪が降り続き、酔っぱらって、自分がどこにいるか分からなくなってしまった。




「そんで、落陽は体験できたのか?」


「いま、それを考えていた。あれは俺の歌じゃない。お前らが待ってたことが、一番うれしかった」




ろくでなしの男たち、身を持ち崩しちまった


男の話を聞かせてよ、さいころ転がして







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