『わたしは誰かを愛せるのでしょうか』

人は誰かを愛して夢中になり、幸せに暮らしている景色がその人の心に見えるからこそ、自分はそうではないと思ってしまう。自分がなんだか大丈夫なのだろうかと不安になるのです。

人と比べるつもりがなくても、誰かを愛せないというのは、何かが欠落しているようにも思えてならない。

出会いの場所に顔を出したとしても、なかなか人を好きになれない。

信頼している人から「あの人はいい男だよ」と言われても、なかなか好きになれない。

「君を大事にするよ」と、誠実な人に声をかけられても、なかなか好きになれない。

これは、辛いものです。

また、せっかく好きな人ができたのに、環境がそぐわなければ、状況はさらに複雑になっていきます。

好きな人ができていても、お相手が結婚していたり、彼女がいたり、自分だけが思っていたり—。
だれかを愛することができても、誰しもその人と一緒になれるわけではありません。

45歳を過ぎての独身女性たちのなかでは、様々な事情があり、結婚を選ばない女性も多くわたしのところへ来てくれます。

理想が高いとか、わがままだとか、気が強いとか、いろんなこと言われ、

わたし世代(昭和)は風当たりの強いときを潜り抜けているのです。お見合いも普通にありました。もっと昔になると、自分の心より世間体を優先する人もいたことでしょう。

『お母さん 恥ずかしい…いつまでも娘が嫁に貰い手がない…』

まるで母親が悩み苦しんでいるように、その姿を見て、自分が大した人間ではないと思う女性たちも多かったと思うのです。その時代の景色を私もよく見てきました。

その女性たちが開放的になっていくのが、これからの未来日本を輝かせる存在になると私は感じます。誰にも振り回されない、自分軸の素敵なお見本になると思うのです。それは

その苦しみを味わっているからこそ、しっかりと自分の感じる素直な心を大切に生きようとするからです。

幸せな結婚をしたと思っていたけど、子育てが終わった矢先に、今の旦那様に違和感を感じ、自分らしさを探し求めて、本当に人を好きになる気持ちを知ったという人もたくさんお会いしてきました。

愛する人と一緒になっている人ばかりではないということも、昭和の女性たちには多いのです。

Instagramで50代以上の女性たちの配信を見ると、『いいぞ!がんばれ、私も頑張る!』そう、思えるのです。

「モラハラ夫と離婚しました!」

「浮気されて苦しんだ!けどー!」

「これからは自由になりたい!」 

「いつまでも若々しく、楽しく!歳なんて関係ない!」

ファッションや暮らし方を配信する彼女たち。そんな人の背景にはきっと昭和の風潮があったように感じるのです。

そして、なんとなく自由奔放なフランス🇫🇷女性に憧れるのは、わたし世代の女性たちに多いと思います。

「一番好きだった人とはうまくいかなかったけれども、今の主人と幸せに暮らしているのです」。そう穏やかに話す方もいらっしゃいます。

独身の女性たちが孤独というのも、おかしな話です。楽しそうに自分の思うように生きていらっしゃる方も数多くいます。

ある調査を見たことがあります。既婚者の女性たちよりも独身女性の方が幸福度を感じているという結果が出ていたのです。

わたしは、なるほどと思います。

昔とは違って、家庭を持つということが幸せだとは限らないということなのです。「子供を育てないと親のありがたさがわからない」とも言われますが、親から虐待を受けていた人たちにとって、これを理解しようとするのは過酷なことです。

愛するという宇宙の自然物質に循環している私たちは、誰かを愛したくなるのです。

愛さずにはいられないのです

それでいて、誰かを愛するタイミングなんてみんなそれぞれでいいし、結婚しても独身でいても同じ人間ですし、愛することまで人間社会に支配されなくていいと思うのです。

見えないところで、それぞれの事情で目に見えない鎖に自ら巻きついているようにも思いますが、その鎖は、意外にも簡単に誰もが外すことができるのです。

この続きは、また、⑦

この本は幅広い人に読んでいただけると思います。あなたの愛する人が人間関係で悩んでいると言われるのであれば、この本を教えてあげてください。