死を意識すると | 幸せのこころとかたち上田祥広のブログ

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人はどうしたら幸せになれるか。なぜ苦しまなければならないのか。お金や地位や名誉をどれだけ手に入れたかを問題にするよりも、自分がどうしたら幸せになれるかを問題にして生きてみませんか。

人生とは死を意識した瞬間、生き方が変わります。それは今まで求めていたものが死んで持ってゆけないものばかりだと知らされるからです。

そして、今まで忙しかった人も、時間ができてゆくようになります。

考えてみたら、私たちの一日は仕事をするか、欲に流れるか。そんなことで毎日が流れるように過ぎてゆきます。

でも、死を意識するふと思うのです。気がついたら、もう今年になってから、何ヶ月も過ぎてしまったんだなと。

そして、このまま時間を過ごしている間に時間は流れるように過ぎてゆき、十年二十年と過ぎてしまう。

それで自分の人生を振り返った時に、歳は随分取ったけど、心は何も変わらないなあと気づきます。

そして、思うのですね。私の人生は何だったなかなあと。

人は人生の多くの時間を働くことに費やします。じゃあ、働くのは何の為かと言えば、お金を稼ぐ為です。

そして、このお金を何に使うかと言えば、生きる為に使い。残ったお金は欲の為に使います。

つまり、人間とは欲を満たす為に生きていると言えます。でも、欲を満たしている時は、楽しいですが、どんなに欲を満たしても、自分は何も変わらない。変わらないまま、時がどんどんと過ぎてゆくのです。

それでも、まだ若い時はいい。それはまだまだ時間があると思えるから。でも、歳を取って、残りの人生や死を考えた時に、このまま老後や死を迎えていいのだろうかと思います。

でも、それで何を求めるのかと言えば、やっぱり金。

結局、生きてゆくにはお金が必要だからとお金を求めてしまうのです。

それでいつまでも生きておれるかと言えば、人間は死んでいかなければなりません。

でも、私たちはどこどこまでも生きることを前提とした人生しか考えていません。そして、本当に死を考えた時に、自分のかき集めた財産を誰に渡すしか考えていないのです。

あとちょっとで、自分はかき集めた財産のことも家族のことも生きてきたことすべて忘れて死んでいかなければならないのに、それでも、死を本当に意識することはない。

だから、本当に自分が死を意識した時、今まで人生が否定される。

自分の人生何だったのかなとなる。

そこから自分の人生を考えるようになります。

何の為に生きるのか?

人は死を意識しなければ、生きる目的を考えることはしません。

出来ることなら、もっと早い段階で死を意識できたら思わずにはおれません。