例えば、親が息子に対して、男は男らしくあるべきだと思ったとします。その時、息子は、親からそう言われたことに対して、そうだ、男だから男らしくならなければならないと思ったとします。
この時、息子の中では、男は男らしくしなけらばならないという我ができます。
この思いは、本心から言ったならば、男らしくできない時もあるのに、息子は男らしくならなければならないと思っているので、それに縛られて、自由な思いを起こすことができなくなります。
そして、男らしくない思いを起こしたならば、それは良くないと、自分の心を自分で否定するようになります。
本心から言ったならば、ありのままの自分で生きてゆきたいのに、男らしくするという我によって、男らしくしなければならないという強制が自分にかかります。
だから、本心からしてみれば、ありのままの自分で生きていってはならないのだと思って、自分を否定し、男らしく生きてゆこうとします。
私たちは子供に対して、こうあるべきだという理想を押し付けます。しかし、それは子供自身、自分らしく生きていっていいんだという思いを否定し、本心では自分は否定されているように生きるようになります。
私たちは子供に対してこうなって欲しいという思いがあります。それは子供の本心が本当にそれが大切なんだと思って生きてゆくことが大切です。
でも、私たちは子供に対して、こうしたらいいよという肯定で、勧めるのではなか、これ以外はダメだという否定で育てようとしてしまう。
でも、それは結果的に子供を幸せにする所か、苦しませる結果となり、人生を通して、自分の本心を否定しながら生きることになってしまいます。
子育てで大事なことは子供に幸せになってもらいたいと思うこと。それは子供が思い通りにならなくても、そのままの子供を認めてあげるところから始まるのですね。