仏教で言う正直な心とは | 幸せのこころとかたち上田祥広のブログ

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人はどうしたら幸せになれるか。なぜ苦しまなければならないのか。お金や地位や名誉をどれだけ手に入れたかを問題にするよりも、自分がどうしたら幸せになれるかを問題にして生きてみませんか。

仏教で正直な心とは、何でも自分の思っていることを正直に言うことではなく、真実に対して正直な心を言います。

真実に対して正直とは、仏教で教えられる無常や罪悪に対して、それを否定して正しい所に立つのではなく、無常という真実、罪悪という真実を正直に受け入れることを言います。

例えば、無常を受け入れることで言ったならば、どんなに死にたくないと思っても、自分は必ず死んでいかなければならないという真実を正直に受け入れることを言います。

そして、必ず死んでゆかなければならない身を受け入れた時に、出てくる感情。例えば、死にたくないなあとか、怖いなあという思いを否定することなく、正直に受け入れることを言います。

また、罪悪を受け入れるということは、自分がまわりの人を傷つけるような思いを起こした時、それを相手が悪いからと正当化せず、自分は相手を傷つけるような思いを起こしてしまったと受け入れることを言います。

このように無常と罪悪という真実を正直に受け入れた時、自分の心では、その真実をはねつけ、自分にとって都合の良いように考えようとしている自分に気づいてゆくのです。

真実を受け入れてこそ、真実を見ようとしない自分に気づく。

必ず死んでゆかなければならないのに、いつまでも生きておれると思っている自分。それを自分はまだまだ、死なないと思って先送りにしながら、人間はいつか死ぬと思っているつもりになっている自分。

そんな真実が分かっているつもりで、真実を歪めて、自分の都合の良いように思っているものが私たち。それをどんなに都合が悪くても、真実と正直に向き合ってゆく心が仏教でいう正直な心なのです。