どんなに相手が悪くても | 幸せのこころとかたち上田祥広のブログ

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人はどうしたら幸せになれるか。なぜ苦しまなければならないのか。お金や地位や名誉をどれだけ手に入れたかを問題にするよりも、自分がどうしたら幸せになれるかを問題にして生きてみませんか。

世の中には正しい所に立つと、間違っている相手に対して、どんなに傷つくようなことを言っても、悲しい思いにさせてもいいと思う人がいます。

そういう人は相手が傷ついても、それは相手が悪いから、悪いことをした罰だと自分のやった行為を正当化します。

でも、仏教から言ったならば、相手がどんなに悪くても、相手を傷つけることは悪。それは傷つけることで自分の心も傷つき、苦しむからです。

でも、正しい所に立ってしまうと、自分の心も見えなくなる。だから、自分の心が傷ついても気付かず、傷つけ続ける。

だから、正しい所に立って、相手を責める人は、後から自分の心が不安になり、苦しむことになります。

でも、そうなったらなったで、不安な心を誰かを責めることで安心させてしまう。

結果、苦しみから新たな苦しみを生み出し、心の中ではいつも不安を抱えながら生きてゆくことになってしまうのです。

どんなに相手が間違っていても、その相手を責めることは自分も苦しむことになってしまうのですね。