残された時間を意識して生きることは嫌なこと | 幸せのこころとかたち上田祥広のブログ

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人はどうしたら幸せになれるか。なぜ苦しまなければならないのか。お金や地位や名誉をどれだけ手に入れたかを問題にするよりも、自分がどうしたら幸せになれるかを問題にして生きてみませんか。

時間をちゃんと過ごそうとすると、自分の中でやりたくないという心が起きる。時間をダラダラ過ごす時は何とも思わないのに、これをやらなくてはと思って、やろうとすると心に抵抗する心が起きます。

きっと時間をちゃんと過ごすことは、時間の流れを感じて、残りの時間を感じるからだと思います。

私たちはダラダラと時間を過ごしている間は、まだまだ時間があると思っておれます。

しかし、その時間をやるべき事に使おうとすると、途端に時間を意識します。つまり、残りの時間が確実に減ってゆくように感じるのです。

そして、心の中で、それはやらなければならないけど、今じゃない。また後からでもできると悪魔の囁きが聞こえます。

そうやってやるべき事を後回しにして、やることはどうでもいいこと。やってもやらなくてもいいことなのです。

私たちはどうでもいいことには、いくらでも時間を使える。それはどうでもいいことをやっている時は時間はいくらでもあると思っているからです。

でも、そうやってどうでもいいことに時間を使っている間に実際の時間は流れるように過ぎてゆく。

だからこそ、時間を大切に使う為には、嫌だけど、時間の流れを意識する必要があります。

時間の流れを意識することは死を意識することでもあります。死を考えることは誰にとっても嫌なこと。

でも、死を意識することで、残りの時間を意識するようになる。そして、どうでもいいことに時間を使えなくなるのです。

時間は限られている。でも、限られていると意識して生きることは人間は本能的に嫌なものなのですね。