怒りを受け止めることは難しいこと。でも、それは人を救う大事な修行になる | 幸せのこころとかたち上田祥広のブログ

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人はどうしたら幸せになれるか。なぜ苦しまなければならないのか。お金や地位や名誉をどれだけ手に入れたかを問題にするよりも、自分がどうしたら幸せになれるかを問題にして生きてみませんか。

怒っている人は心が傷ついたことを分かって欲しくて怒っています。だけど、分かって欲しくて話しているだけなのですが、そこに怒りがあるのでどうしても相手を責めているように話してしまう。

だから、聞いている人も自分が責められたくないから、怒っている人の話をちゃんと受け止めてくれる人はいません。

本当はちゃんと受け止めてあげたら、怒りは静まるのに、頭で分かっていても受け止めてあげることは、なかなか難しいことです。

もちろん受け止めてあげようとする人はいますが、余りにも責められすぎると、もうそばにいることができなくて、離れてしまいます。

怒りを起こした人は、ただ分かって欲しいだけなのに、自分のまわりに誰もいなくなってしまうので、どうしようもない孤独で悲しい気持ちになります。

怒りを起こす人を独りにさせることは、本当に可哀想なことだと思います。

でも、そばにいて受け止めてあげることも難しいこと。

悲しい思いにさせたくないのに、悲しい思いをさせてしまうことになってしまうのです。

怒りを受け止めてあげるには、修行が必要。それは目の前の人を救う為に大切なもの。

だから、大事な人を救うためにも、人間的に成長しなければならないものなのですね。