僅かな無駄を認めたくないばかりに | 幸せのこころとかたち上田祥広のブログ

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人はどうしたら幸せになれるか。なぜ苦しまなければならないのか。お金や地位や名誉をどれだけ手に入れたかを問題にするよりも、自分がどうしたら幸せになれるかを問題にして生きてみませんか。

仏教から言ったならば、智慧のない私たちは、人生のほとんどの時間を無駄にしています。でも、執着がある為に、無駄だと知らされることがあっても、それが無駄だと認めることができません。

たとえ僅かなお金を無駄にしたとしても、嫌な気持ちになって、あの時、こうしなかったら、こんな事にはならなかったと後悔します。

しかし、無駄なことをしたことを認めなければ、生き方を反省しようとはせず、これからも今まで同じ生き方をしてしまいます。

その為、これからも無駄なことを続けてしまうのです。

大きな無駄は認められなくても、僅かな無駄は認めなければ、生き方を変えることはできない。

それどころか、自分の生き方は正しいと思って、意味の無い人生を生きてゆきます。

私たちにとって大事なことは過ぎ去った時間よりも、これからやってくる時間。

今まで過ごした時間を無駄にしたくないばかりに、これからの人生を無駄にすることは避けたいものですね。