仏教から言ったならば、智慧のない私たちは、人生のほとんどの時間を無駄にしています。でも、執着がある為に、無駄だと知らされることがあっても、それが無駄だと認めることができません。
たとえ僅かなお金を無駄にしたとしても、嫌な気持ちになって、あの時、こうしなかったら、こんな事にはならなかったと後悔します。
しかし、無駄なことをしたことを認めなければ、生き方を反省しようとはせず、これからも今まで同じ生き方をしてしまいます。
その為、これからも無駄なことを続けてしまうのです。
大きな無駄は認められなくても、僅かな無駄は認めなければ、生き方を変えることはできない。
それどころか、自分の生き方は正しいと思って、意味の無い人生を生きてゆきます。
私たちにとって大事なことは過ぎ去った時間よりも、これからやってくる時間。
今まで過ごした時間を無駄にしたくないばかりに、これからの人生を無駄にすることは避けたいものですね。