人間誰しも執着の心を持っています。例えば、お金に対する執着で言ったならば、一万円を持っていたら、それはいつまでも一万円の価値があると思う心です。
一万円を使わなかったら、一万円のままで当たり前だと思うでしょう。でも、その一万円が盗まれたら、その一万円は無くなります。
この時、一万円は無くなったから仕方ないと思えず、いつまでもあれがあったらと思うことが執着です。
また、目の前に欲しいものがあっても、一万円の価値が無かったら買わずにおこうとすること。これもお金を物に変えなければ、いつまでも一万円の価値があると思う心なので執着です。
でも、どんなに使わずに取っておいても、持っているお金の価値がすべてゼロになる時が来ます。
それが死です。その時、執着が強い人は失ったことを認めることができずに苦しみます。
それだけ、一度手に入れたものは失うことがないのだと思っているからです。
だから、執着から離れるために、しなければならないことが整理です。整理と聞くと、物のことだけのように考えている人がいますが、整理は物だけではありません。
お金もあるのです。
お金の整理とは何でしょうか?
それは施すことです。この時、我を取って施すことが大事です。
我を取るとは、何でしょうか?
それはこんなに施したから認めて欲しいとか、お礼が欲しいとか、自分を大事にしてもらいたいとか、そんな心を捨てて施すことです。
このようなお金という価値を使って、認めてもらうとか、感謝されるという価値に変えただけで、捨てている訳ではありません。
だから、せっかく施したのに、施したことに我をつけてしまっているのです。
布施とは、お金を捨てるつもりでするものです。
それは実際に執着しているものを失った時に、仕方ないと諦める為です。
私たちは手に入れたものすべてを失う時が来る。
その時、苦しまない為にも、失うことに対して経験を積んでゆくことが大切なことになるのですね。