清浄になるとは | 幸せのこころとかたち上田祥広のブログ

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人はどうしたら幸せになれるか。なぜ苦しまなければならないのか。お金や地位や名誉をどれだけ手に入れたかを問題にするよりも、自分がどうしたら幸せになれるかを問題にして生きてみませんか。

清浄になるとは、どんなものも永遠に自分のものになるものはなく、一時、自分の元にやってきていることを知ることです。

私たちは手に入れたものは自分の物になったと思うから執着する。そこから貪欲にかき集めようと思う心が起き、ケチになります。そして、自分の欲の為なら喜んで動くのに、他人の為には勿体なくてやりたくないと思う心が起きるのです。

でも、本当はこれは自分のものだと思って執着するのではなく、他人が喜んでくれるのならば、、喜んで施した方が、それが目には見えない功徳となり、自分の心を幸せにするのに、人は心の幸せよりも、目の前にある確実なものを自分の手元に置いておくことが得だと思ってしまうのです。

水は流れているから浄らかであるのに、それを自分の所に留まっているようにしたら、腐ってしまうように。

人の心も物や人に執着し、自分のものにしようと思う心から心が汚くなります。

真実から言えば、すべては借り物。自分のものになるものは何一つありません。

それを正しく知ることで、自分のものに執着することなく、自分にやってきたものは大事にして、使わないものは気持ち良く施す。

そうやって、すべてを循環してゆくことが心を浄らかにしてゆくのです。