私たちはどんなに善をやっても、それだけでは自分は善をやっていると認められない。自分のやった善を誰かに認めてもらって初めて自分は価値のある人間なんだと安心する。
だから、どんなに自分が頑張って善をしても相手からお礼がなかったならば、自分のやったことが嫌だったのではないかと思って不安になるし、こんなにやったのに、ありがとうもないと腹を立てる。
それほど自分の価値を他人に依存しているものが私たちです。
だからこそ、仏教では三輪空を教えられます。
三輪空とは、私が、誰々に、何々をしてやったんだ、という思いを忘れること。
それは自分がやったのは善だから、相手からお礼があるかないかに関わらず、自分の行動で自分は価値のある人間なんだと認めることです。
自分の行動で自分を価値のある人間なんだと思えたら、どれだけでも気持ち良く善ができる。
こんなに善をやっているのにと思う必要が無くなります。
相手からお礼が無くても、これは善だからやってゆきたいと思えたら、自分はどんな環境でも愛される人間となります。
お礼を期待して、無かったら善をすることをやめることよりも、お礼を期待せず善に励んだ方が自分の気持ちも楽になるし、幸せな環境にもなるのですね。