仏教では、どんなに善に頑張っていても、なぜやらなければならないか分からず、やらなければならないからやると言ったように理性でやる善を雑行と言われ、どんなにやっても幸せになる所か苦しまなければならないと教えられます。
それはやってない人を心の中で責めているからです。
責めるとそれが唯識で跳ね返り、自分を責められないように善をやるようになります。
しかし、それは心の世界ではいつも自分のことを責めている人がいるようなもの。
心の中にはいつも不安に怯え、また、やらない人には何であいつはやらないのかと責めるようになります。
責めれば、不安が生み出される。
幸せになる為に善をした筈なのに、善をしたことで、責めるようになり、逆に心は不安で覆われてしまうのです。
だから、仏教では雑行を捨てよと言われるのです。
善をやる前になぜやらなければならないのかをよく知らなければなりませんね。