なぜ生きるかが問題になる時 | 幸せのこころとかたち上田祥広のブログ

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人はどうしたら幸せになれるか。なぜ苦しまなければならないのか。お金や地位や名誉をどれだけ手に入れたかを問題にするよりも、自分がどうしたら幸せになれるかを問題にして生きてみませんか。

人はなぜ生きるのか?
多くの人はこの問題を考えることなく生きています。それは考えなくても生きてゆけるからです。

みんな自分はこういう人間という我を持っています。それが自分だと思って我を崩さないように生きています。だから、この我が崩れて、我が自分じゃないのではないかと不安にならなければ、なぜ生きるを考えることはしないのです。

しかし、多くの人は生きている時は我が崩れないで生きてしまいます。そして、臨終になって崩れる。この時になって初めて自分は何のために生きてきたのかが問題になります。しかし、この時では手遅れ。そのまま自分は何者か分からなくなって真っ暗な世界に飛び込んでゆくのです。

人生にとって我が崩れる経験は不幸のように感じますが、真実から言えば、本当の人生の目的を考えるチャンスでもあります。

今自分だと思っている自分が自分じゃない。そのことに気づいて初めてなぜ生きるかが問題になるのですね。