世の中の人は幸せとは、欲を満たすことだと思っています。しかし、実際、好きなだけ欲を満たすことができたならば、心は幸せで包まれる所か得体の知れない不安に覆われます。
それは欲とは自分の心を見ないからです。私たちの幸せは自分を感じることです。それは目を内側に向けなければ、自分を感じることはできません。
ところが、私たちは目を内側に向けると、都合の悪い自分が見えます。私たちは自分はこういう人間だという我を持っており、それが自分だと思っているので、それと合わない都合の悪い自分が見えると、無意識のうちに、この自分を否定して見えないようにします。
誰もが自分の中に見たくない自分を持っており、その自分が見えると不安になるので、欲に流れて現実を誤魔化してしまうのです。
でも、どんなに現実を誤魔化して、自分の中だけで理想の自分に執着しても、無常が来たら、現実の自分が見えてしまう。だから、それを心の中で知っているので、欲に流れても不安が溜まってしまうのです。
誤魔化しは問題の解決にはならない。だからこそ、現実と向き合い、都合の悪い自分を受け入れることが大切なのです。
それがどんなに許されない自分であっても、それは自分勝手に許されないと思い込んでいるだけ。
どんなに受け入れることができない自分であっても、それがありのままの自分。どんなに否定しても自分は変わる訳ではありません。
だからこそ、醜い自分が見えても、これが自分なんだなあと思って、許してあげて欲しいと思うのです。
幸せは価値のある自分になることでは無い。ありのままの自分をここに存在してもいいんだと許してあげることによって得られるものなんだと思いました。