人間は誰しも見捨てられ不安を持っています。それは善人の自分は見捨てられないが悪人は見捨てられるという不安であり、その為、私たちはいつも善人に立とうとします。
この善人に立とうとする心を自力といい、私たちはいつも自分を善人という所に立つことで悪人を見下し、安心しています。
しかし、一度善人の自分が崩れて、悪人の自分になると、自分の存在がいてはいけないように思って、否定します。
否定するのは、悪人の自分が消えれば善人の自分だけになれると思っているから。でも、悪人の自分をどんなに否定しても善人になれる訳ではないので、安心できません。
悪人はどんなに否定しても消えることはない。だから、苦しむだけなのに、私たちは悪人だと見捨てられると思って、悪人が見えると否定することしかしません。
見捨てられ不安を無くさない限り、私たちは心から安心することはできないのですね。