私たちは善人ならば存在してもいいと思い、悪人ならば存在してはならないと思っています。
そして、同時に善人ならば思い通りに物事が進み、悪人ならば悪いことが起きると思っています。
だから、思い通りにならない現実とぶつかると、自分の存在が悪人のように思えて、これから先どんなに頑張っても思い通りにならないことが起きるのではないかと思ってしまうのです。
確かに生きていれば、思い通りにならないことは起きます。しかし、それは自分が悪人だからではなくて、善人であっても思い通りにならないことが起きるもの。
だから、思い通りにならないことが起きるから悪人では無い。でも、私たちは思い通りに物事が進んで当然だと思っているから、思い通りにならないことが起きることは当たり前ではないと思ってしまう。
善人、悪人にとらわれると、思い通りにならないことがあるかないかで、善人か悪人かを判断し、一度悪人となると、これからも思い通りにならないことが起きるのではないかと思ってしまう。
人生そのものが苦しみへと変わってしまうのです。