私たちは心の奥底では、自分は存在しているのに、存在していないような感じを持っています。
だから、他人から認めてもらうことによって自分はここに存在しているのだと感じて安心するのです。
この認めてもらいたいという気持ちに特定の人から認めてもらいたいという気持ちと不特定多数の人に認めてもらいたいという気持ちがあります。
私たちは特定の人に認めてもらうからこそ、心は満たされます。
でも、特定の人に認めてもらいたいと思うと、その人から認めてもらえないと苦しいので、どうしても不特定多数の人に認めてもらおうとしてしまうのです。
この不特定多数の人にどんなに認めてもらったとしても、心は満たされず、渇いてしまう。
だから、仏教では特定の人に認めてもらうことを勧められるのです。
特定の人に認めてもらおうとすると本当に人を信じなければならない。
でも、信じてこそ、心の渇きは癒されるのですね。