不安を隠すため正しいところに立つ | 幸せのこころとかたち上田祥広のブログ

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人はどうしたら幸せになれるか。なぜ苦しまなければならないのか。お金や地位や名誉をどれだけ手に入れたかを問題にするよりも、自分がどうしたら幸せになれるかを問題にして生きてみませんか。

仏教で大事なこと、それは善悪の基準を変えないことです。

私たちは自分の都合によって善悪を変える。

例えば、怒ることは悪だと言いながら、自分が怒った時は、相手が悪いから怒るのは当然だと正当化します。

自分に向けた時と他人に向けた時と善悪の基準が違う。それによって不安が生み出されます。

この不安から私たちは自分を絶対的に正しい所に立って、他人を批判するようになります。

自分から見て他人が悪ならば、容赦なく責めるようになります。

でも、そうやって正しい所に立つ人ほど、自分とは違う価値観を持っている人を認めない。

それは相手が正しければ、自分は間違っているとなってしまうからです。

そして、自分の間違いを認めると不安になる。

不安になりたくないから、相手を責めて、正しい所に立ってしまうのです。

じぶんは正しいという人ほど、大きな不安を抱えています。

そして、不安を見ないように正しい所に立っています。

でも、臨終になると、自分の思っている正しさは崩される。そうなると、心は不安に覆われる。

だからこそ、生きている時に、自分の周りの人達の価値観を認めて、不安と向き合うことをしなければなりません。

生きているときなら、不安は解決できる。死んでから突然不安に覆われても、どうすることもできないのですから。