仏教で大事なこと、それは善悪の基準を変えないことです。
私たちは自分の都合によって善悪を変える。
例えば、怒ることは悪だと言いながら、自分が怒った時は、相手が悪いから怒るのは当然だと正当化します。
自分に向けた時と他人に向けた時と善悪の基準が違う。それによって不安が生み出されます。
この不安から私たちは自分を絶対的に正しい所に立って、他人を批判するようになります。
自分から見て他人が悪ならば、容赦なく責めるようになります。
でも、そうやって正しい所に立つ人ほど、自分とは違う価値観を持っている人を認めない。
それは相手が正しければ、自分は間違っているとなってしまうからです。
そして、自分の間違いを認めると不安になる。
不安になりたくないから、相手を責めて、正しい所に立ってしまうのです。
じぶんは正しいという人ほど、大きな不安を抱えています。
そして、不安を見ないように正しい所に立っています。
でも、臨終になると、自分の思っている正しさは崩される。そうなると、心は不安に覆われる。
だからこそ、生きている時に、自分の周りの人達の価値観を認めて、不安と向き合うことをしなければなりません。
生きているときなら、不安は解決できる。死んでから突然不安に覆われても、どうすることもできないのですから。