私たちには、心と我の二つの自分があります。この中で本当の自分は心の方ですが、多くの人は自分の心をさらけ出すと、まわりの人から受け入れてもらえないと思うので、他人から認められる人間になるように我という仮面をつけています。
あくまでも我とは、他人から否定されないように自分を守る為のものなのに、それがいつのまにか、我こそ本当の自分だと思って、心の方を否定するようになります。
そうやって心を否定しているうちに、いつの間にか、自分の心の存在が希薄なものになり、まるで我こそ自分だというように生きてゆける人も出てきます。
このような人はなりたい自分を簡単に演じることができるし、感情的に乱れることもありません。
しかし、そんな人も臨終になると我が崩れる。でも、崩れた後にあるはずのものがないのです。
つまり、心という魂が希薄になったことで、臨終になると、心までバラバラになってしまうのです。
そんな人には来世はない。そのまま自分が分からない真っ暗な世界へと飛び込んでゆきます。
多くの人、生きている今しか見ません。しかし、死んだ後も魂は続いてゆくのです。
その魂が死によって崩壊しないように生きている間に心を育てないといけないのです。
心を育てることをせず、我だけで生きてきた人に死後はありません。自分のない真っ暗な世界へと飛び込んでゆくだけです。
人生には目的がある。その目的を知らず、心を育てることをせずに、人生を終えてしまった人は、死んだ後、果てしなく苦しむ世界へと飛び込んでゆかなければならないのです。
大事な目的を知らないまま、生きていることは、後悔しかない未来が待っているのですね。