仏法は聴聞に極まる | 幸せのこころとかたち上田祥広のブログ

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人はどうしたら幸せになれるか。なぜ苦しまなければならないのか。お金や地位や名誉をどれだけ手に入れたかを問題にするよりも、自分がどうしたら幸せになれるかを問題にして生きてみませんか。

仏法で信とは、都合によって曲げない善悪をもって自分を省みることです。

私たちは欲目があるので、自分で自分を反省したら都合良く悪でも善に変えて見てしまいます。

だから、変わらない善悪を持つ為には、仏教の教えを聴聞して、そこで自分を反省することが大切です。

教えを聞いたり、語るから、私たちは自分の都合と関係なく正しいものさしで自分を反省できます。

だから、仏法は聴聞に極まると言われているのです。