みんな今自分だと思っているものが自分だと思っています。そして、死後があると思っている人は、この自分が死んでも残ると思っているし、死後がないと思っている人はこの自分が無くなって死後はないと思っています。
しかし、この自分を仏教では我と言われ、これは本当の自分ではなく、本当の自分は他にあると教えられます。
みんなこの我という自分を問題にし、少しでも良く見せようと人生をかけています。例えば、お金を持つと、高級車を買ったり、ブランドのバックを買ったりするのも、我を少しでも良く見せようとする努力なのです。
しかし、私たちは我が自分だと思っているので、本当の自分を問題にしません。我のためなら、平気で罪悪も造ります。
しかし、そうやって罪悪を造ってまで我を良く見せても、罪悪を造ったことで本当の自分は醜く歪む。
そして、臨終に本当の自分と向き合うことになります。
みんな死が恐ろしいのは、罪悪を造って醜く歪んだ自分を見たくないから。人生をかけて、我のために必死に頑張ってきたのに、臨終で我は崩れ、罪悪で醜く歪んだ本当の自分と対面する。
人生とは真実が分からない限り、苦しむ為に生きていると言えるのかも知れないと思いました。