仏教でいる素晴らしい人格の人は始めから素晴らしい人格であった訳ではありません。
始めは他の人と変わらない普通の人だったかも知れないし、問題を抱えた人であったかも知れない。
そんな人がどうして素晴らしい人格になれたのか?
それは目の前の人を幸せにしたいと思って、心から向き合ったから。
私たちは相手に対しては仏のような人格を求める。
どうして優しくしてくれないの、どうして穏やかな心にしてくれないの、なんで謝ってくれないのと、こちらができないことでも当たり前のように要求してくる。
そんな風に言われても自分にはできないよと言ってしまうと相手は傷つく。
だから、できなくても、自分はそんな人格にならなければならないと頑張るようになった。
そして、できない時には、できなくてごめんねと謝る。
そうやって相手の望むような仏のような人格を目指して、あまりにも高い目標であっても諦めることなく求め続けていった。
その積み重ねと長い時間が人を素晴らしい人格へと変えてゆく。
素晴らしい人格になることを諦めないこと、そして、今はどうやってもなれないことを受け入れること。
そこから出発して、道を求めていった人が畢竟してたどり着く世界が素晴らしい人格なんだと思いました。