唯識の世界では、自分の見ている世界は全部、自分。
自分が善人の時は、まわりの人は自分よりも悪人に見えるし、自分が悪人の時は、まわりの人は自分より善人に見える。
まわりの人が善人に見えても、悪人に見えても、それは他人ではなく、自分の中にあるものが他人に投影して見えるだけ。
だから、唯識の世界では、自分の見ている世界すべて自分が映っている。
この自分の姿が見えているという真実を知らないから、私たちが苦しむ。
責められたら、自分は責められるような人間だから責められたと思ってしまうのです。
責められたら、自分が都合の悪い相手を責めるから、それが相手を通して見えただけなんだなと思って、自分の種まきを反省できる。
世界は自分を映す鏡であり、私たちが鏡を見て、おかしな所を正すように、唯識の鏡を通して自分を反省できる。
すべてが自分を成長させる為のご縁と変えてゆくことができるのです。