人は死んだら、死後はないと思っている人がいる。
それはある意味正しくて、ある意味間違っている。
何故なら、私たちの肉体には、魂が宿っているので、死んで肉体は無くなっても、魂まで無くなってしまうことはない。
しかし、その魂が続くといっても、その魂が崩れることなく続いてゆくとは限らない。
多くの人は魂が死と共に崩れ、バラバラになった魂が後生へと流れてゆく。
そして、バラバラになった魂は虫に生まれたり、動物の魂の一部となって生まれてきたりして、人間として生まれることは滅多にない。
多くの人にとって人間として生まれてくるチャンスは今生初めてであり、未来にももう有り得ないことなのである。
人生には目的がある。
果たさなければならないことがある。
人間として生まれてきた時は多くの人は生まれてきたばかりの魂であり、それは卵の黄身のように崩れやすく、後生の激しさには耐えられない。
だから、この魂を育てて卵の黄身からひよこまで育てることが人間として生まれてきて、どうしてもやらなければならない目的なのです。
多くの人は人生には目的があることを知らず、ただ悪いことをしなければ死んだ後も幸せな世界へと往けるのではないかと思っている。
それはとんでもない間違いであり、みんな目的があること知らないまま、一生を終えてしまう。
お釈迦様は毎日雨が降るが如く人が死んで地獄へと堕ちてゆくと悲しまれたというが、人生には目的があることを知らず、魂を育てることなく人生を終えてしまった人のことを言っているのだと思います。
悪いことをした人だけが地獄へと堕ちてゆくのではない。
人生には目的があることを知らず、目的を果たすことなく、死を迎えてしまった人こそ死んで地獄へと堕ちてしまうのです。
多くの人にとって今生こそ自分で生きる最初で最後のチャンス。
死んで後悔しても、もう取り返しがつかない。
それでも人生には目的があることを知る人は少なく、目的があることを知らないまま、一生を終えてしまう人があまりにも多いことか。
悲しいことです。