私たちは現実世界を心のスクリーンに映して見ている。
だから、目の前の相手は現実の相手ではなく、心に映し出した相手。
それを現実の相手だと思って実体を持たせて、まるで自分が見た相手が現実の相手のように思っている。
だから、自分の見ている相手が責めてくるように感じたならば、現実に相手が責めているように思ってしまう。
しかし、この現実の相手だと思うことで、それにとらわれ私たちは苦しむ。
相手から責められたように感じただけで、自分が悪いように思ってしまう。
でも、自分の見ている相手は現実の相手ではなく、心が生み出した相手だと分かったならば、今までの苦しみはなくなり、責められているように感じても、映画で責めている人を見ているように感じて苦しむことはなくなる。
これが空じるということ。
空じるとは、責めている人を目の前から消す訳ではなく、責めている相手は責めているままで、それに対するとらわれが無くなって苦しむことがなくなるということ。
見えている世界は変わらないままで、現実だと思っていたものが心で映し出された映像に過ぎないと分かることで、苦しみがなくなる。
これが空じるということ。
空じることで、この世のあらゆる苦しみがなくなる。
苦しみから離れ、苦しみのない世界に出ることができる。
これが色即是空ということなのです。