よくいじめをしていた人に対してネット上で責めている人がいますが、その人も正しい所に立って悪い者をいじめている人ではないでしょうか。
いじめている人は自分が上に立っているので、自分がしていることで、どんなに相手が傷ついているか分かりません。それと同じように、悪いことをした人に対して非難する人は、自分が非難したことによって、どんなに相手が傷つくは分かりません。
たとえ相手が傷つき苦しんだとしても、悪いことをしたのだから、当然の報いだと思って、相手が苦しんでいながら、可哀想だとは思いません。
仏教から言ったならば、相手がどんな悪いことをした人であっても、傷つけていい人なんていない。それを傷つけていいと思うことは、いじめと同じ。
いじめをしている人を非難しながら、自分もいじめをした人と同じ心を持っていることに気づかない人が如何に多いことか。
世の中にいじめがなくならないも仕方のないことなのかも知れませんね。