愛欲と名聞 | 幸せのこころとかたち上田祥広のブログ

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人はどうしたら幸せになれるか。なぜ苦しまなければならないのか。お金や地位や名誉をどれだけ手に入れたかを問題にするよりも、自分がどうしたら幸せになれるかを問題にして生きてみませんか。

愛欲を満たすことと名聞とはどう違うのでしょうか?

どちらも認めてもらいたいという心ですが、名聞は、自分を価値のある人間として認めてもらいたいという心です。価値のある人間として認めてもらいたいということは、価値がなければ認めてもらえないと思っています。だから、価値を失ったら見捨てられると思っているから、どんなに認めてもらっても、その時は嬉しいが、心が満たされることはなく、もっと認めてもらいたいと、果てしなく認めてもらおうとするのです。

これに対し、愛欲を満たしたならば、心が満たされ、満足して、それほど認めてもらいたいと思わなくなります。

名聞は認めてもらえばもらうほど心が渇き、認めてもらわずにはおれないし、他の人が認めてもらっていたならば、不安になります。だから、自分だけが認めてもらわなければ安心できず、他人を蹴落としてでも自分だけが認めてもらおうとします。

本当は価値がなくなったとしても、見捨てられることなく認めて欲しい。でも、勇気がないから、どうしても価値のあることを認めさせて、認めてもらおうとしてしまう。でも、そうすると心が渇き、満たされることはありません。

愛欲を本当は満たしたいのに、格好つけるから、満たされない。幸せになりたいのに、満たせば満たすほど不安になるものが名聞なのです。