悪を責めると、自分が悪になった時、責められているように感じるから、自分の思う正しい人間になろうとする。
例えば、怠けている人を責めたならば、どんなに不毛だなあと感じる仕事であっても手を抜くことができず頑張ってしまう。
でも、頑張りながら、自分の中では不毛と感じているから、なんで頑張らないといけないと思ってしまう。それでも怠けると責められるので、怠けることができず頑張ってしまう。だから、疲れるし、怠けたいという心が起きると、その心までも否定して苦しくなる。
責めると、頑張りたくなくても頑張らずにおれなくなり、頑張りたくないと思う素直な気持ちさえも否定し苦しむ。
そして、どこかで自分は何をやっているのだと思いながら、こんなに頑張っているから、何か意味があるに違いないと思おうとする。しかし、結局、やっていることは不毛なことだから、どこかで無意味だと見せつけられ、自分はなんで苦しんでまで頑張り続けてきたのかと思うことになる。
人生が苦しみになるのは、他人の悪を責めるから。責めるのは、自分にも同じ悪を持っているからであり、自分の悪を否定する気持ちがそのまま他人の悪を否定することで現れる。
だから、自分にも同じ悪を持っているのだから、他人を否定するのは、自分を否定するのと同じ。否定されると苦しいし、否定されないように頑張りたくなくても頑張らないといけなくなる。
だから、自分が苦しみたくないから、他人が悪をしていても許してあげる。他人を許すことは自分を許すこと。自分を許してあげたら、心がすごく楽になる。
平穏な毎日は責めることをやめることによって生まれるのです。