他人から無視された時に腹を立てる人がいるが、それは自分は無視されるような人間ではないという我が傷ついたから。
私たちは自分とはこういう人間だという我を持っており、自分も我の通りに振る舞うと同時に、まわりの人からも我の通りに扱ってくれるべきだと思っている。
だから、思い通りにまわりの人が自分の我の通りに扱ってくれた時は、自分は我の通りの存在だと安心しておれるが、まわりの人が一人でも自分の思い通りに扱ってくれないと、自分は我の通り存在ではないなではないかと思って、不安になり、その不安をかき消すように相手を責めて自分は我の通りの存在だと証明しようとする。
つまり、それだけ私たちは我が自分だと思いたいだけで、本当は自分は我じゃないと薄々気づいている。だからこそ、我にしがみつき、自分はこういう人間だから、他人があんなことをするのはおかしいと責める。
でも、どんなに我が自分だと思っても臨終になると崩れる。その時、我以外の自分を否定していた私たちは、自分の存在を否定せずにはおれなくなって、激しく苦しむ。
我は必要なものだが、我イコール自分じゃない。そのことに生きている時に気づかないと死んでとんでもないことが起きるのです。